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2018年4月11日 (水)

No.188 : レゴ作品展を見学しました (3)

「模型鉄道ジオラマ」
  模型鉄道の醍醐味は、運転にあります。それも実景を模して構成したジオラマの中でです。この作品展には、それが出展されていて、多くの見学者を喜ばせていました。
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                                                                                     170
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  撮影した多数の中から、老生の好みで選んだものです。ロゴの特長を十二分に活用して、凝った建物を配置して在ります。建物がヨーロッパ風なのは、元祖のロゴ社がデンマーク生まれだからでしょうか。
   老生の好みでは、もっと日本風のジオラマで構築したら如何かと感じました。 
 
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[ 終わりの一言 ]
  展示された作品は、他の分野にも沢山ありました。例えば、艦船・航空機・動物などです。どの作品も力作揃いで、
子供のための教育機材に止まらず、成人の創造意欲を満たし得る 「すぐれもの」 だと認識を新たにしました。
              <以上>                                        

2018年4月10日 (火)

No.187 : レゴ作品展を見学しました (2)

[ 鉄道模型 ]
   このレゴ作品展での人気の的は鉄道模型のようでした。多数のピースを組み合わせた精巧な造りの車両と、それが多彩な建物の間を縫って敷かれたレールの上を走行する光景は、見学者を釘付けにしました。
139 左図は「新幹線」の先頭車です。ピースを複雑に組合わせて巧みに流線形を構成しています。    
 
184  上図は、その全景です。実物は16両編成ですが、展示品は6両編成です。それでも、ずいぶん長い作品です。
 
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 上図はJRの電気機関車の模型です。屋根上のパンタグラフや床下の台車や補機類を細かく構成しているのは驚きでした。
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 上図は、上から「貨物車両」「旅客列車」「「電車列車」を並べて有ります。どれも精巧な出来栄えですが、長さ方向の縮尺を調節しているように感じられました。一般に鉄道車両を正確に縮尺すると、ずいぶん細長く見えるものです。さらに、レールの曲線部の曲率を大きくしないと走行が難しくなります。それですから、在来の模型でも長さ方向を故意に短縮するケースが有りました。
ここに展示した模型も、そうだと思われます。車両の窓の数をチェックすれば推定できます。
 展示作品の中に、車両内部が見えるようにしたものが有りました。
182                                                                                                    F020                                       
F021                                           上2図は電車特急の先頭車の客室、下図は食堂車の内部を見えるようにして有ります。どれも、実際よりデフオルメしてあるようです。これは、形状・寸法に制約のあるピースを組合せて構成するのですから当然でしょう。むしろ、よくも纏められたものだと感心します。
                                                                                     なお、蛇足ですが、レゴの鉄道模型のレール幅 (ゲージ) は、在来のものとは異なる独特の規格です。"L-ゲージ" と云う名称を提起しているそうです。また、縮尺を統一化していないようです。(これは出展者の方から直接に聞きました。) 
              <以下次号>                                             

2018年4月 5日 (木)

No.186: レゴ作品展を見学しました (1)

去る2月から3月にかけて、東京都調布市の文化会館で 「レゴ作品展」 が開催されました。
 
S_1_2  S_2_4                                                                             
レゴについては、子育ての時には大いに 活用した経験が 有りましたが 、それから既に数十年を経ています。  今回、往時を思い出して、会場に足を運びました。
そうして、その多彩な進歩に驚かされました。
 
[ 名画のレゴ化]
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S04
S05_2                           
上記は、ピカソなどの著名な画家の作品をレゴで構成したもので、約1m.の正方形にまとめていました。なかなかの迫力を感じました。 
                                                                                            [建 築」
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S17                      
左図は「武蔵野の森・総合スポーツ・センター」 「味の素スタジアム」のレゴ模型です。右図は「東京警視庁・庁舎」です。どちらの作品も細部まで再現されています。 
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左図は 「横浜・港みらい」 地域のレゴ模型です。港に隣接して建つビルや観光施設を再現しています。右図は高さ634m.を誇る 「東京スカイツリー」 です、これも精巧な作品です。 
S15 上図は厳島神社です。海に浮かぶ豪壮な鳥居と社殿の威容を示しています。          
             <以下次号>
 

2018年3月23日 (金)

No.185: RCA社の興亡に想う (5)

<コングロマリットへの迷走>
  米国では1960年代後半に企業のコングロマリット化が広がった時期が有りました。これは異業種の企業を買収などの手段で傘下に収めることのようです。ウィキペデイアなどの記事によれば、異業種間同士の相乗効果によりグループ全体の活性化を期待する経営手法として注目されました。
  RCA社も、この手法を採り入れたようです。老生は1970年に同社を訪れましたが、面談した渉外担当者は、同社のコングロマリット化計画を誇らしげに語りました。即ち、レンタカー・冷凍食品・出版・不動産などの企業を買収した、との話でした。この時に老生は甚だしい違和感を持ちました。
  電子産業で世界に君臨するRCA社が、全く違う分野の企業を傘下に入れるのか、理解に苦しみました。帰国しての社内報告で言及しましたが、反応は技術系と経営系では全く逆でした。前者は疑問を表明し、後者は賛意・称賛を示しました。
  後になって見れば、RCA社のコングロマリット化は、ジリ貧からの脱却を狙う最後のあがきだったのでしょう
 
<RCA社の終焉>
  1986年にRCA社は嘗ての親会社GE社により買収されました。その後、GE社のジャック・ウエルニチ会長の提唱する「選択と集中」の方針に従い、RCA社の経営資源は切り売りされ消滅してしまいました。
  僅かにかにブランド名のみが他社に継承されていますが、それも見聞する事例は殆ど無いようです。 
 
たまの玄太の繰り言>
1. RCA社は超短波用の真空管を提供していました。
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1949_5876rca 左図は "エーコン管" と云い、右図は "ペンシル管" と云います。これらは家庭用の電子機器では目に触れる機会は無いでしょうが、業務用の機器では数多く使用されました。老生は大学の卒業研究のための装置を造るのに使いました。その入手は秋葉原の電気街からでした。          
2. 老生は駆け出しの技術者の頃ライセンス契約をしていたRCA社から絶えず送られる特許資料の仕分けを経験しました。会社にとって、必要・有用・無用に大別したのです。知識も経験も乏しい若僧が貧弱な英語力で読み解くのですから難行・苦行の日々でした。しかしながら、相応の学識と評価能力を身に付をけられました。
3.  RCA社に関わる出版物の一部を紹介します。
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左図は同社の刊行する技術論文誌 "RCA REVIEW"、右図は、同社創立の頃の米国電子工業史 "Invention and Inovation in the Radio Industry" です。 前著は電子機器の研究開発者には貴重な資料でした。老生も新刊が出る度に貪るように読破したものです。後著は電子産業の勃興期の経過や業界事情を詳述した貴重な資料です。
4. RCA社は全盛期にはニューヨーク市の一等地に堂々た  
Rcaる高層 ビルを構えて得ました。
老生は1970年の海外出張の時に訪れました。
研究所と無線機工場の見学のアレンジを依頼するために渉外担当者に会いました。担当者は個室を構え、ドアの外に女性秘書が居て取次をして呉れました。この一事でも、当時の老生にはカルチュア・ショックでした。(日本では、今でも個室を持ち秘書が付くのは極めて限られた人です。)
    そのアレンジに従って、郊外に在る研究所と地方の工場を見学しました。そこで広大な敷地、整備された環境、充実した設備、などを見せられて圧倒される想いでした。
  その頃、日本の電子産業は力を付け、ラジオ・テレビ・音響機器などは米国を脅かす程に成長していましたが、この見学・調査で、米国の蓄積や潜在力を再認識させられたものです。
5. それから50年近くを経て、日本の産業は中韓などに追い上げられ、次に期待される "IoT, AI" などでは米国に差を付けられています。「興亡盛衰世の習い」「有為転変」「英雄墓は苔蒸しぬ」などのコトバのを痛感します。
 
              <以上>

2018年3月15日 (木)

No.184 :RCA社の興亡に想う (4)

<大成しなかった次世代大型ビジネス>
 RCA社は、ラジオ事業・真空管事業・テレビ事業に次ぐ革新的な大型ビジネスを育成するのに成功しませんでした。
   例えば、録音・録画の機器について、他社を圧倒するような機器を開発し事業化できませんでした。同社はRCA Victor のブランドで電気蓄音機およびSPレコードの世界では王者の地位を占めましたが、その後の長時間レコードの開発ではEPレコードを発表したものの、CBSのLPレコードには苦戦しました。さらにソニー・フィリップス連合の開発したデジタル方式のCDには差を付けられました。
 別の流れとして、磁気テープレコーダーが有りましたが、これも、日本やオランダの攻勢に太刀打ち出来ませんでした。
 録画装置については、かなり前から研究を始めていて、1953年頃には、放送局用の機器を発表しました。
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1960_vtr_5   左図はその装置です。録画時間は数分に過ぎなかったそうです。右図は1960年に発表された機器です。この頃になると製品としての完成度も一応の水準に達したようです。しかし、米国内では Ampex社と云う強力なライバルが居ました。
 さらに、家庭用VTR については、日本勢の攻勢が有りました。この分野は日本メーカーが独走し、欧米を圧倒しつつありました。
   家庭用の録画装置には、デスク方式という流れも有りました。「絵の出るレコード」というキャッチ・フレーズで各国の有力メーカーが開発に鎬を削りました。
    RCA社は 「セレクタビジョン」 と称する静電容量の技法を採り入れたシステムの機器を開発し、売り出しました。
同社は、このシステムに期待し多大な開発投資をしましたが、事業としては」成功しませんでした。
  開発に着手した当時の事情を忖度すると、嘗て成功を収めたレコード事業の延長線上との思い込みが強かったのではないでしょうか?
1961
左図は、RCA社の発売した「セレクタビジョン」の一例です。
  ライバルの立場にあったVTRは当初はオープン・リールの磁気テープを使いましたが、これは一般家庭人には扱い難い難点が有りました。一方、レコード(音響) は普及していましたから、同様に扱えるデスク(画像) の方が有望ではないか、との発想が有ったのでしょう。しかしながら、VTR 側はカセット形式を採って取り扱いの簡素化を実現し、録画の機能も持つので、デスク側を圧倒しました。
  このビジネスの不成功は、同社の経営を危機に陥れたとさえ囁かれました。
    今では、殆ど知られていないようですが、RCA社はコンピューターにも関わり合いました。得意の電子管技術を活用した記憶装置や磁気コアメモリー、磁気ドラムメモリーなども開発し、業界に貢献しました。同社の先進開発グループ (ADG) はBIZMAC という大型コンピュータ・シSテムを製造し、米陸軍の兵站管理に重用されました。
  しかしながら、この分野のビジネスは同社の経営体質とは馴染み難かったようで、何時しか手を引きました。
  同社は複写機にもトライしましたが、業務用・家庭用ともに不発でした。
  素材については、液晶や太陽電池の研究もして居ましたが、行き詰まり放棄したと伝えられます。この分野は日本のシャープ社などが追いつき・追い越して実用化に成功したことは周知です。
    1970年頃にCATV (有線テレビ) が注目された事が有ります。初めは難視聴地域に、大規模アンテナ設備を設け、そこから同軸ケーブルを介して各家に良好なテレビ信号を配信するシステムで、かなりの普及が有りました。そうなると、伝送容量の大きいケーブルを家々にまで配線するのだから、より多くの情報を双方向で扱えるという夢が生まれ遂に "Wired City" なる構想が提唱されました。
  内外の有力メーカーが開発を推進し、RCA社も着手しましたが、結果としては実を結びませんでした。もっとも、他社も同様でした。後年、全く別の技法と思想により生まれたインターネットが、 "Wired City" が意図した以上の機能を実現しました。技術予測は難しいと痛感させられます。
            <以下次号>

2018年3月10日 (土)

No.183:RCA社の興亡に想う (3)

<トランジスターの衝撃>
 1948年に米国ベル研究所は半導体を素材とする活性素子「トランジスター」を発表して、世界に衝撃を与えました。電子技術の最重要部品である真空管に代わる素子として報じられたからです。
 真空管はガラスの真空球の中に電極を配置し、その中で電子を操る事によって、電気信号を制御するデバイスで、繊細な構造のために振動・衝撃に弱く、寿命は数千時間と短かい等の弱点が有り、悩みのタネでした。
 ベル研が発表したトランジスターは、超小型・軽量・低消費電力・耐震・耐衝撃・長寿命、の触れ込みで、真空管の弱点を全て解消したかのように伝えられました。
 このニュースは、真空管王国を誇ったRCA社にとって衝撃的であったことはでしょう。同社は対応策として、トランジスターの研究開発に着手する一方、真空管の改良に努めました。
   左図は、RCA社が発表したトランジスター "2N404"です。                                                                     
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このトランジスターはゲルマニウムを素材にしていますから、かなり早い時期の製品です。初期には、どのメーカーもゲルマニウムを素材としたのですが、温度特性が悪いので、回路設計者は苦労しました。また、高周波では使えない、大電力を扱えない、パルス性の大入力に弱いなどの欠点が共通して有りました。
   右図は "ニュービスタ" と銘打った RCA社の真空管です。初期のトランジスターの欠陥を持たず、しかもトランジスターの特長である低消費電力・耐震・耐衝撃・小型・軽量を実現しました。唯一の弱味は電源が高低の2種類を要した事でした。真空管としては最後の製品と云うべきでしょう。
  一方でトランジスターの業界にも次々と進化が見られました。素材をシリコンに代えたのが飛躍の第一歩で、温度特性が改善され、高周波・大電力も可能になりました。
  その過程でRCA社が1970年に開発したシリコン・ウエファーの洗浄法は業界で広く使われました。この事実は、同社がトランジスターにも注力していた事を示しています。時折、技術コメンテーター氏などが 「RCA社は真空管王国の実績に安住して、半導体の進歩に乗り遅れた・・・・・」 と云う類の発言をしますが、如何なものでしょうか?
  RCA社は8ビット・マイクロプロセッサー "GDP1802" を1976年に発表しました。パイオニアのインテル社には数年の遅れが有りましたが、放射線や静電気放電に強い特徴を備え宇宙機器に賞用されたそうです。 (下図)
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  このような事例を見れば、同社が真空管の成功体験に囚われた、との評は酷に過ぎるように感じます。
    電子産業界には、超小型化・高密度化・高信頼性を追求する流れも有り、集積回路はその解答でした。RCA社は集積化が難しいとされるアナログ回路に対して、マイクロモジュールを提案しました。
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左図はマイクロモジュールの一例です。右図はそれを構成するセラミック基板で、約1㎝ 程の正方形です。その上に印刷抵抗やコンデンサを形成、トランジスターやコイルを蒸着し、それら数枚の基板を積み重ね、プラスチックで固めました。個々のマイクロモジュールは増幅・発振・変調・検波などの機能を備え、目的に応じて組合せて電子機器を構成しようとする発想でした。
 日本の 「学研」 が "電子ブロック" なる教材をは発売してベストセラーになった事が有りますが、これはマイクロモジュールの思想を継承したとも云えそうです。
 RCA社のマイクロモジュールは残念ながら大成しませんでした。電子機器は一般に微調整(擦合せ)を必要としますが、マイクロモジュールの構造では却って困難です。個々のモジュールの精度を高めて、擦合せ不要を実現できれば理想ですが、それは当時のレベルでは無理な要求でした。日本でも数社が追随しましたが、何処もギブアップに終わりました。
                <以下次号>

2018年3月 7日 (水)

No.182: RCA社の興亡に想う (2)

<音響事業への進出>
RCA社は1929年に Victor Talking Machine 社を傘下に収めて、音響事業に参入しました。 左図は、その時期に発表した電気蓄音機 9U-2型、右はレコードです。
1929_s_3Photo_7電子技術を導入した電気蓄音機は、それまでの機械式とは異なり、音量を自由に加減でき、音質も好みに応じて調節できるので、音楽愛好家を魅了し、ブームを起こしました。
また、使用した商標は、蓄音機のホーンに耳を傾ける犬 (ニッパー) を配したユニークなデザインが人気を呼び、世界中に浸透しました。
音響事業は、機器の製造販売に並行して、音楽作品を準備する必要が有ります。換言すれば、機器(ハード)を売るためには、音源(ソフト)の品揃えが要ります。
そのためには、音楽業界の慣習や著作権について把握した上で事業を創めるわけです。 開発や生産の技術力のが有れば事足れり、と云う単純なものでは有りません。
それらの諸問題を、次々とクリアして、有力な事業分野に成長させたRCA社の力量は大したものと思われます。
<テレビジョン事業への展開>
音声・音楽を大衆に伝えるラジオ事業が成功すれば、次の段階として映像を放送しようと企てるのは自然の趨勢です。早くも1923年にRCA社のツヴォルキン博士は撮像管 "アイコノスコープ" を開発しました。
1923_s_2図は発明品を手にする博士です。この頃、世界各国で、テレビの研究が行はれていましたが、大別すると、機械式と電子式に分類されました。
先駆者として知られる英国のベアードや、日本の山本・川原田 (早大) や曽根 (電気試験所) らは機械式を推進していましたが、RCA社は得意の電子管技術を駆使したのです。
なお、日本でも高柳 (浜松高工・現静岡大) はツヴォルキンと同様の着想を同時期に得て、国内の特許を出願していました。
撮像管はテレヴィジョンの心臓部ともいうべき素子ですが、それだけでテレヴィジョン技術が完成するわけでは有りません。関連する多くの回路技術が必要で、RCA社はそれらの殆どを解決し、特許の網の目を張り巡らしました。
RCA社は、1931年にはTV試験電波を、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルに設けた設備から発射しました。次いで1939年には世界博を機に放送を開始しました。
1939_rca_television_ad_2
Rca_71946左図はTV放送の案内パンフレット、右図は当時の受像機の一例です。
その頃は受像管が高価でしたから図示の例では7吋と小さいものでした。その後、受像管のサイズは、17吋,21吋,24吋,27吋と次第に大きくなりました。
放送開始から数年間はモノクローム (白黒) でしたが、次の段階としてカラー化の研究は続けられていました。1951年には、RCA社が主導して NTSC 方式なる規格が公式化されて、放送電波は漸次カラー化しました。それに対応して受像機もカラー化が進みました。
TV ビジネスは、それより前のラジオ ビジネスに比して桁違いのスケールでした。それは一国の基幹産業に比肩する程に成長したのです。その中心はRCA社でした。
RCA社は "真空管王国" に次いで "ラジオ・テレビ王国" を築いたのです。
<特許の網の目・アンブレラ方式>
RCA社は、真空管技術・ラジオ技術・テレビ技術などの電子技術分野に、強力且つ広範な特許を押さえていました。
優秀な人材を集め、精緻な研究所を組織して開発を推進
しました。また、必要に応じては他社所有の特許を買収したそうです。
1950年代の初めに日本のメーカーはRCA社とライセンス契約を結びました。そので契約はテレビ技術に関わる項目を一括して契約する方式で、各テーマ毎の契約ではなかったののです。比喩的に云うならば、「宝の山の採掘権」を与えるという方式です。
この方式だと、使わぬ場合でも一定の特許料を支払う義務が有りますが、有効に活用して大きな利益を得た場合には、割安になる可能性が有ります。
日本の各社はセットメーカーから部品メーカーに至るまで、この 「アンブレラ方式」 で契約したと云われます。
                <以下次号>
 
 
 

2018年2月24日 (土)

No.181: RCA社の興亡に想う (1)

じめに>
この10年ほど、日本の製造業が嘗ての活力を失い、その中でも電機メーカーの不振が目立ちます。昨年には「東芝解体・電機メーカーの消える日」なるショッキングな書物も現われました。
老生は一読して「栄枯盛衰、世の習い」「兵(つわもの)どもの夢の跡」「英雄、墓は苔蒸しぬ」などのコトバを想起しました。
ところで、このような事象は日本だけの事では有りません。実は米国においては数十年も前に同様な事態を生じていました。我が日本では正に周回遅れで同様なな苦境に陥っているわけです。
<RCA社の創設>
この小文は、嘗て世界のラジオ・テレビ業界に君臨した米国RCA社の浮沈興亡について記してみます。 
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左図は同社のロゴ・マークです。このマークを印した真空管や電子機器は世界中で頻繫に見られました。
RCA (Radio Corporation of America) という企業は、発明王エヂソンが創業した GE (General Electric) の子会社として1920年に設立されました。これには米海軍の要請があったとされています。当時、無線通信にかかわる事業は英国のMarconi 社が世界的に独占状態に有ったのですが、そのような事態は国防上好ましくない、という理由が有りました。
<D.サーノフの登場>
S設立当初から終焉近くまで同社で活躍した人材はD.サーノフ氏でした。氏はユダヤ系移民の子で高等教育をうけていませんでしたが、「アメリカン・ドリームの体現者」」の一人に数えられる逸材でした。
氏は英国の豪華客船タイタニックの遭難事故に際し、米マルコニー社の電信技士として遭難信号を逸早く受信して世界中に報じ、無線通信の重要性を世に知らしめました。
この事件を契機として氏は新設のRCA社に転じて手腕を発揮しました。氏は、研究開発の技術者というよりも、新技術の将来性を看破して、その事業化を推進する事業家であったようです。
<放送局の開設と受信機の生産>
RCA社1922年には、ラジオ放送局を開設し、同時に家庭用受信機を発しました。この事業を始めた当初は、その成否について議論百出したそうです。音楽愛好家らは好んで聞くとしても、それは少数派に過ぎない。 ニュースその他を聞くだけのために高価な機材を購入するであろうか? という意見が強かったそうです。
ところが蓋を開けてみると、大盛況で、ラジオ受信機メーカーが乱立しましたが、RCA社はパイオニアであり、主要素子である真空管を独占的に生産していましたから、ダントツの地位を占めました。
放送というシステムは、中央の放送局から不特定多数の受信者に向けて一方的に情報を伝えるわけで、それまでの通信システムが特定の相手と双方向の情報交換を行うのに比して全く異なります。このような新規のシステムを事業化した発想は驚くべきものが有ります。
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図は左から、放送開始のポスター、鉱石ラジオRE型、真空管4球式ラジオ・Radiora Ⅲ型を示します。
RCA社は、電波を送出する放送機から家庭で聴く受信機までを生産し、その心臓部というべき真空管を独占的に生産し、多くの受信機メーカーにも供給しました。正にラジオ業界のトップ・リーダーでした。
<真空管の王国>
同社が真空管の製造を創めたのは1921年とされています。当初は直熱フイラメント2.5V管で、その形状から日本では「ナス管」と云われていました。やがて傍熱ヒーター2.5V管に進化し、さらに形状はST管に変わりました。この頃には傍熱ヒーター6.3Vが普及しました。
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左から、”ナス管" "ST管" "金属管" "GT管"  を示します。 前の2管は、4本脚、5本脚、6本脚、7本脚などがあり、ソケットも4種類有りましたが、後の2管は8本脚に統一されました。 時期としては、前の2管は1920年代から、後の2管は1935年頃より生産しました。
これらの真空管は、世界中の他企業がコピーしました。真空管の寿命は数千時間程度でしたから常に交換補給が必要で、しかも世界の何処でも入手できないと困ります。それですから、世界各国のメーカーはRCA社製品に追随しました。いわゆる世界標準(規格)の嚆矢となったのです。
1940年頃には、小型化が進み、"mT管” ”サブmT管" が現れました。
左から "mT管" "サブmT管"を 示します。
Mt_6 Mt_4この頃には、他のメーカーも力をつけて来て、独自の開発を手掛けるようになりました。サブmT管などはRaytheon, Sylvania などが先行したようです。
それでも RCA 社がトップ・リーダーであることは変わりませんでした。
RCA社は真空管に関するマニュアルを刊行していました。 左は "RCA Receiving Tube Manual", 右は "Radiotron Designeer's Handbook" です。 
Rca_tube_manual_41953_radiotron_designeers_handboo_3左の書物は真空管規格を主としたデータの集大成であり、毎年のように改訂版が発行されました。
右の書物は真空管回路の設計法を詳述した内容の大著でした。
共に、電子技術者にとっては座右に置き、参照する貴重な資料でした。
このような資料を提供・公表したのも王者の貫禄を示すものと云えるでしょう。
 
      <以下次号>

2017年12月 3日 (日)

No.180 : 有力メーカーの不正事件の続発に想う (2)

14.  前回で記した種々のケースに共通するのは、経営幹部が生産現場の実態を知らず、知ろうともせず、現場の部長クラスに丸投げしているのではないかと云う疑念です。
例えば、自社の生産原場を定期的に視察する方は、どれ程いるでしょうか。
こう云うと、現代のハイテク工場は大規模で高度、且つ複雑多岐にわたるから、専門知識を持たぬ経営幹部が短時間の視察をしても意味が無い、などとの反論もあるでしょう。
しかし、職場の空気を引き締め士気を高め、不祥事を防ぐ効果を期待できます。
 
15. 経営幹部は、自社の製品について業界での位置付けを明快に認識しているでしょうか。その位置付けの細部に至るまで把握しているでしょうか。その位置付けを向上させるための施策や具体案を常に考究しているでしょうか。
 
16. 多くの大企業では、経営幹部の大半は、いわゆる文系出身です。彼らは 「細かい技術の内容」は知らなくても、大局観を以て総合的な経営判断は出来る」 と云うような発言をしたがります。その説を全否定はしませんが、実績で示して頂きたいものです。
 
17. 高度成長期に活躍した経営者には、技術系出身で生産原場に強い関心を持った方が、かなり存在しました。 S社の創業者 I.M 氏、H社の創業者 H.S 氏、M社の創業者 M.K 氏、などが代表的な方です。これらの方は技術者として傑出し、経営者としても成功を収めました。 
低成長期に入ってからは、このような人材が減少したように感じます。
 
18.  低成長期に入ってからは、未踏分野の開発にリスクを賭けるよりも、既存分野の合理化を図り利益を得ようとする経営姿勢が目立つようになりました。そのために、経営幹部は財務・労務などの文系人材が主流を占める傾向が有ったようです。
 
18. 日本の高度成長の頃、米国内では 「企業の首脳が有名大学院卒の経営学修士 (MBA) で占められたが、彼等は生産原場を知らず、紙上に現れる収益のみを追い求めた、これが米産業の衰退の理由だ」 という論議が有ったようです。このような反省は、現在の日本についても、云えるのではないでしょうか?
 
19. 迷論を云うなならば、高度成長期は戦国乱世期に、低成長期は平和安定期に相当するのではないでしょうか? 戦国期には武力の傑出した人物が大名となり天下を獲得しました。平和期になると武士であっても財務・管理に長けた人物が実権を握るようになりました。 この実権者交代の傾向は歴史の節目ごとに見られ、近代社会でも同様であると老生は愚考します。
 
20. 現代について敷衍するならば、アナログ電子機器業界の角逐で日本は世界に覇権を得ました、開発競争・生産競争に勝ち抜いたのです。その主役は技術系人士でした。 やがて、開発途上国にも技術が流出して、そのレベルが上がってくると、日本の技術優位性が失われ、価格競争の時代になりました。こうなると、コストダウン・合理化が主題となり、文系の管理屋の発言力が強くなるわけです。
つまり、戦国期から平和期に移行したというアナロジーが見られます。
 
21. ところが平和期と思われていた時期にも、一方ではデジタル電子機器の熾烈な競争が始まっていました。この競争に、日本は出遅れました。平和期の対応に腐心していて、次なる胎動への目配りに欠けたからでしょう。その一因は、技術に疎い管理・財務系の幹部が主導していたからです。デジタル電子機器の覇権は米国に移りました。
 
22.   米国はデジタル電子機器で傑出しましたが、設計開発は自社で行い、生産は海外に委託する水平分業なるシステムを編み出しました。 日本は自社および傘下の下請けで全てを処理する垂直統合シスエムで成功した体験から抜け出せず、コスト競争で苦戦し、じり貧状態に追い込まれました。
このようなビジネズ・モデルの変換期に遭遇して、「大局観を持ち、総合判断できる」 と自称する文系出の経営陣諸侯は如何なる決断と行動をとれるのでしょうか?
 
23. さらに急速に発展する IT ビジネズ の特質は技術開発と市場開発が密接に絡み合う事です。新しい技術を応用して新市場が生まれる一方で、市場の新しい要望が次なる新しい技術を生み出す。このような関係が双方向に急速に進みます。このような相互関係は従来から在りましたが、近年は特に著しくなりました。即ち既に戦国乱世の様相を呈しています。
このような事態にはトップの即断即決が求められます。これを適時適切に行える文系出のトップは、存在するでしょうか?
 
24. 電機・電子の名門企業であるT社が不振に陥り、高収益のメモリ部門を売却するというニュースは業界人に衝撃を与えました。米の名門WH社の原子力部門を買収したのが重荷になったと伝えられます。同社は既に医用機器・白モノ家電・パソコンなどを切り売りして来ましたが、原子力部門への集中投資に依って起死回生を図ったものの、期待に反して赤字を増大させたようです。
この例など、"大局観" も "総合判断" も実効が無かったようです。
 
25.  T社のメモリ部門ではフラッシュ・メモリが儲け頭で、これを発明したのは天才的な研究者と評され、海外でも高く評価されていたそうです。ところが、同氏は優遇されることなく、大学に移籍しました。経営判断に失敗した首脳は居直り、技術で貢献した研究者は冷遇される、このような経営姿勢は問題だと感じます。しかし、このような事例は他に幾らもあります。
 
26. 終わりに。 
思いつくままに、アトアンダムにに妄言を書き散らしました。吉田兼好法師は 「おぼしき事云わぬは、腹ふくるる業なれば・・・・・」 との名句を残しました。老生の心境も、そのとおりです。
                                                  <以上>
 
 
 
 

2017年11月25日 (土)

No.179  有力メーカーの不正事件の続発に思う (1)

1. 去る24日のニュースは「M 社」のデーター捏造を報じました。この数年、有名メーカーのデーター捏造や無資格者による検査などの不祥事が頻発しています。日本の製造業は高性能で高品質の製品を世界に輸出して、好評を得ていたのですが、かかる不詳事の続発は、数十年を超える研鑽・努力によって得た名声と信用を失いかねないと憂慮されます。
 
2. 老生はリタイアして既に20数年になりますが、40年近く電子産業の企業で研究・開発に携わっていました。1960年代に始まった高度成長の一端を支えた経験を持ちます。
その老生から見ると近年のモロモロの不詳事例を見聞すると 「何たるザマか」 と憤りを感じます。
 
3. しかしながら何人も、このような事件を好んで起こすとは考えられません。それにも関わらず、幾多の業種で頻発するには、相応の事由・背後関係が潜在すると思われます。そこで、老生なりの 「やぶにらみ的妄言」 を試みます。
 
4. 先日のY新聞記事は、「収益に片寄つた経営姿勢」 と経営幹部は説明し、「これぐらいなら問題ないのでは」 と現場が軽く見た、と報じていました。
この解説は誤りではないでしょうが、老生は違和感を持ちます。
 
5. 企業組織において、経営幹部と製造現場は対等の関係では有りません。厳然たる上下の力関係が存在します。 
企業が利益追求の組織です。経営幹部は口を開けば、「成果を出せ」 「数字で示せ」 と要求します。ここまでは良いとしても 「言い訳を云うな」 と釘をさすのが常態です。
 
6. さらに、「オレは細かい事は知らない、無理難題は承知しているが、それを何とかするのが、お前らの役目だ」 との放言も日常茶飯事です。
このように連日攻め立てれると、直接に業務を受け持つ現場管理職のクラスは、一時逃れとして軽微なルール違反には目を瞑つても、生産ノルマの帳尻合わせをするケースも生じ得ます。
 
7. こう云うと、「経営幹部の機嫌を損ねても、現場の実態を直言すべきだ」  と評論家諸氏は批判しますが、実際には殆ど不可能でしょう。また、欧米ならば「無理だ、不可能だ」 と明言するが、摩擦を嫌う日本人は云わない、などと海外の例を持ち出す「・・・ではの守氏」も現れます。
このように批判する人々は自由業かそれに近い立場の方で組織の力学をご存知ないようです。
 
8 .また、テレビなどで紹介される町工場の「ものつくり名工」を引き合いに出して、大組織の技術人の劣化を論難する方も居ますが、その比較は適切ではありません。彼等の属する小企業での製品は一人もしくは数人の判断で処理できる範疇の製品か、ハイテク製品を構成する一部品です。
彼らが優れた 「匠の技」 を駆使しても、一人あるいは数人で今日のハイテク製品 (完成品) を量産することは出来ません。
 
9. 28日のY新聞は 「日本のモノ作りは大丈夫か」 というタイトルの1頁記事で3人の意見を載せていました。有名メーカーの技術系役員であったS.J氏は、基準が高く設定されていたと指摘し、その根拠としてK社の素材を使った諸製品が強度不足で破壊したという例を聞かない、と説いています。氏は続けて、時代の変化とともに素材の特性や使用法も変わる、それに対応して基準の見直しが必要だとも記しています。それがコストダウンに繋がり、イノベーションを生むとも主張しています。
 
10. 同じ紙面で町工場を経営するA.T氏も日本のオーバースペック  (過剰品質) 指摘していました。また、日本子業規格 (IS) が有るのに国際標準化機構 (IEC) に従うように求められるケースが有る。欧米諸国は自国に有利なようにルールを変えるが、日本は弱腰で独自性を主張しない、とも記しています。
 
11. K大のK.K教授は、企業風土の観点から論じています。上司との摩擦を避けて、難題を何とか解決しようとするが、無理を重ねると歪が表面化する。円高やバブル崩壊後の不況で経費削減を徹底した。無理な要求が増え、現場は上層部に迷惑が及ばぬように忖度する中で、自然発生的に不正が定着した、と断じています。
 
12. ここまで書いてきた29日にはT.R社のデーター改竄が報じられました。新聞記事によれば、"品質保証室長" が2代・8年にわたって行っていた、との事です。この記事を読んで首脳陣の無恥厚顔ぶりに呆れました。
いままでの各社の発表事例では、不詳事の関わった特定の役職者を明言していません。T.R社の態度は、まさに「トカゲの尻尾切り」では有りませんか。
 
この役職がどの程度のポストであるか、老生は知りませんが、まあ部長クラスでしょう、経営首脳からは3ランクぐらい下ではないでしょうか。そのクラスの社員が全くの独断でできる筈はありません。上層部の暗黙の了解を取り付けたか、逆に上からの示唆があった筈です。
同社はトップが経団連会長に推されるほどの名門企業ですが、今回の事件発表はお粗末の極みです。
 
13. このように、不詳事が頻発するのは、バブル経済崩壊後に厳しい経営環境が厳しくなった故と云われますが、それだけではないと、老生は愚考します。
そこで、次回には老生なりの迷論の展開を試みます。
 
                         < 下次号 >

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