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2011年8月18日 (木)

No.09:中浜万次郎 宅跡を探訪

東京都台東区北砂1丁目に、中浜万次郎の邸宅跡が有ります。
彼の出仕地であった土佐藩の江戸藩邸の一部でした。

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現在は台東区北砂小学校になっていて、上記の掲示板はその中に
在ります。この映像は門扉の外側から望遠レンズで摂りました。

Manjiro_2  1827年 土佐の貧しい漁師の
       次男として出生

 1841年 仲間と出漁して遭難。
       無人島暮らし143日後
       に米捕鯨船に救助

 1843年  ホットフィールド船長
       の故国米国に伴われ
       米国で教育を受ける

  1846年 捕鯨船フランクリン
       号に給仕として乗務

1848年 一等航海士、副船長

1852年 琉球を経て土佐に帰国、鎖国体制の下で取調べを受ける

1853年 江戸幕府に召し出され、直参旗本、中浜万次郎と名乗る

1854年~ 幕府通訳、造船・航海・測量・捕鯨などの指導

1860年 海外使節団の一員として咸臨丸で渡米、福沢諭吉・勝海舟
      らと同行

1861年 小笠原諸島を調査、地図・資料つくり

1864年~ 薩摩藩・土佐藩の藩校で航海・造船・英語などの指導

1868年 土佐藩から江戸深川砂川に屋敷を賜る

1869年 新政府の開成学校(現東大)の教授

1870年 普仏戦争調査団員として欧州に出張
      ホットフィールド船長に再会

1871年 体調優れず療養生活

1888年 逝去、墓は東京都雑司が谷墓地

Manjiro

 中浜万次郎は日本人として始
 めて米国の地を踏み、生活し
 たのみならず、かの地で航海
 術・捕鯨などの先端技術を修
 める機会を得た稀有な人物で
 した。

 彼を引き取り高度の教育を受
 けさせた米人ホットフィールド
 船長の義侠心・人類愛には
 感嘆すべきものが有ります。

 一方、万次郎は研鑽に努め
 21歳の若さで一等航海士の
 資格を得て、副船長に昇格
 しました。

 万次郎は帰国後には、鎖国
 体制の下でしたから、何度も
 執拗な取調べを受けました。

しかしながら、時勢の変転は有為な人材を必要としましたから、士分に取り立てられ、航海・造船・測量・捕鯨・英語などの方面で大活躍をしました。

地方の貧しい漁師の次男が偶然の機会から米国で高度の教育を受け
帰国後は多くの有力者と交わり、国内外に活躍し東大教授にまで至
ったのは歴史の一齣として永く記憶されるべきでしょう。
                             以上。

 

 

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コメント

私は江東区に住む40代の主婦です。ジョン万次郎に関する分かりやすい情報ありがとうございました。ジョン万次郎に関する資料を検索して、ここを見つけました。北砂小内にジョン万次郎の資料があるのか調べていたのですが、ネットにはそれに関しての情報は見当たらないようです。 私もジョン万次郎は国民が知るべき人であり、ぜひ教科書にのせるべき人物だと思っています。アメリカでは教科書にジョン万次郎の話がきちんとのせてあり、アメリカ人はきちんと認識しているそうです。今日本では暗いニュースが多いなかで、困難にたちむかい世界にも知られるようになった万次郎の存在は今こそ若い世代に伝えたいと思います。昭和一桁の方とお聞きし、すばらしいと思いました。今後も元気に執筆、研究に励んでくださいますよう祈っております。

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