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2011年9月20日 (火)

No.11:日本の宇宙開発発祥の地 探訪

東京都国分寺市に在る早稲田実業学校の校門前広場に「日本の宇宙開発発祥の地」と記した碑が有ります。

Kokubunji_01

名戦闘機"隼" "鍾馗"の設計者として知られた糸川英夫博士が、戦後
にロケット開発を志し、最初の発射実験を国分寺の南部銃製造所の工
場跡地で行いました。当時、既に米ソは大型ロケットの開発競争の最
中であり、再建途上であった日本の国力では無謀な挑戦だと評する識
者も多かったのです。

Kokubunji_03 
しかし、博士は全長230mm、直径18mmという超小型の火薬ロケットを創り、水平発射実験を反復しました。1955年3月の事でした。実験は尾翼の取付け角や弾頭重量などを変化させた29機に達し、これより多くの基礎的データーが得られました。

その後、研究スタッフは増強され、実験場は千葉・秋田と移り、機体の大きさも性能も次々と向上して行きました。糸川博士は日本の宇宙開発体制が軌道に乗った頃に東大を去りましたが、その種は脈々と受け継がれて行きました

その成果の一つは先頃に日本中を湧かせた探査機"はやぶさ"の壮挙でした。小惑星"イトカワ"から未知の宇宙物質を持ち帰るという世界初の試みに成功したので

"はやぶさ"は名機"隼"に通じ、"イトカワ"は糸川博士を称えた国際的な命名です。創成期には"花火のおもちゃ"とまで揶揄された"ペンシル・ロケット"はここまで成長したわけです。糸川博士のパイオニア精神と実行力を顕彰するための碑が所縁の地に造られたのは至当な事と思われます。

Kokubunji_02_3
なお、同様な記念碑は全国に数箇所有りますが、最初のペンシル・ロケットの発射実験は この国分寺で挙行されました。また、ペンシル・ロケットは米国スミソニアン博物館、日本の国立科学博物館など数箇所に展示されています。

Pen_2
                                 以上。

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