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2012年3月14日 (水)

No.26 東京大学 発祥の地 探訪

東京大学が文京区本郷に在ることは周知ですが、創立の地は別の場
所です。それは神田錦町3丁目(現)です。その地には学士会館という
ビルが建っていますが、その側面の植え込みに「東京大学発祥の地」
という記念碑が有ります。

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さらにそれと並んで「我が国大学発祥の地」という、由来を記した碑が
有ります。

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かなり長文ですが東大を中心に、いわゆる旧帝国大学についても経
過を記しています。次に全文を記します。

「我が国の大学発祥地

当学士会館の現在の所在地は我が国の大学の発祥地である。
すなわち、明治10年(1877年)4月12日に神田錦町3丁目に在った東
京開成学校と神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医
学校が合併し、東京大学が創立された。
創立当初は法学部・理学部・文学部・医学部の4学部を以って構成さ
れ、法学部・理学部・文学部の校舎は神田錦町3丁目の当地に設け
られていた。
明治18年(1885年)法学部には文学部中の政治学及び理財学科が移
され法政学部と改称され、また理学部の一部を分割した工芸学部が
置かれた。このようにして東京大学は除々に充実され明治18年まで
に本郷への移転を完了した。
従って、この地が我が国の大学発祥地すなわち東京大学発祥の地と
いうことになる。
明治19年3月東京大学は帝国大学と改称され、その時、それまで独
立してた工部大学校と工芸学部が合併されて工科大学となり、その
後東京農林学校が農科大学として加えられ、法・医・工・文・理・農の
6分科大学と大学院よりなる総合大学が生まれ帝国大学と名付けら
れた。
更に、明治30年(1897年)に京都帝国大学の設立に伴い、東京帝国
大学と改称された。
爾後明治40年に東北帝国大学、明治44年に九州帝国大学、大正7
年に北海道帝国大学、昭和6年に大阪帝国大学、昭和14年に名古

屋帝国大学が設立された他、戦後なくなったが大正13年に京城帝国
大学、昭和3年に台北帝国大学がそれぞれ設立された。
昭和22年(1947年)に至って、右の7帝国大学はそれぞれ東京大学、
京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大
学と呼称が変更された。
明治19年7月創立の学士会は以上の9大学の卒業生を以って組織さ
れ、その事業の一つとして、当学士会館を建設し、その経営に当って
いる。

              平成3年(1991年) 11月    学士会    」

学士会館は、碑文の説明に有るように旧帝国大学卒業生により組織
された団体で会員相互の親睦を目的とし、またそれに必要な設備とサ
ービスを提供しています。

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東京大学の前身に遡ると、徳川幕府が設立した「蕃書調所」に至りま
す。幕末期に幕府は洋学の必要を痛感し、1855年に神田小川町に
「洋学所」を設けましたが、安政地震で倒壊・焼失してしまいました。
1856年に「蕃書調所」と改称して九段下に移り、蘭学を中心とし英学
を加えた洋学教育、翻訳事業、欧米との外交折衝などを行いました。

"蕃書"と云う聞き馴れぬコトバは、"野蕃な書"という意味て゛すが、
当時の幕府の学問の総帥であった儒学者・林大学頭が "洋学"を嫌
った故と云われます。
その「蕃書調所」は、1862年に至り漸く「洋書調所」となって、一ツ橋
門外(現神田錦町)に移転しました。さらに1863年には「開成所」と改
称しましたが、1868年には幕府から明治政府に移管、「開成学校」と
なりました。

1_3   2_3

   この開成学校が 原点となって東京大学
 となり、それ以後に統合と移転を重ねて現
在の東京大学があるのです。
                                <以上>



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