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2012年4月 9日 (月)

No.28:水道碑記など探訪

東京都新宿区四谷庁舎の近くには、江戸時代に建設・運用した水道
施設にかかわる記念碑が有ります。創設期の江戸の市街は水資源が
乏しかったので、多摩川の上流から取水して江戸に至る水道を建設し
ました。これは当時の日本としては画期的な大事業だったと思われま
す。そのシステムの基本は明治以降の近代水道にも引き継がれて今
日に至っています。

625_2

上図は新宿区教育委員会による説明板で、水道碑記・玉川上水水番
所跡・四谷大木戸跡碑の由来が説明されています。

627_c_3  説明文によれば、
  東京都指定文化財(古文書)として
  昭和5年12月に指定されました。
 
 記念碑の高さは460センチ、幅は
 230センチ。

 上部の篆字は徳川家達、
 撰文は胆付兼武、
 書は金井之恭、
 刻字は井亀泉。

 碑の表面には明治18年と記されてい
 るが、発起人の死亡により一時中断
 し、明治28年に完成した。

 同所には玉川上水の由来を詳記し
  た説明板も在ります。(次図) その全文はを下記に転記します。

「玉川上水

徳川家康は、天正18年(1590)江戸に入ると間もなく市中に給水する
ために神田上水を造った。これは井の頭池を水源とする神田川を活
用し、関口の大堰より下流を上水として造成した。
その後、江戸城の西部と南部の給水を目的に幕府が江戸の町人玉
川庄衛門・清衛門兄弟に工事を請け負わせ、承応3年(1654)6月に
完成したのが玉川上水である。

上水は玉川の羽村に堰を設けて取水し、ここ内藤新宿の水番所ま
で43キロメートルは掘割で、ここより江戸市中には地下に石樋・木
樋といった水道管を埋設して通水したもので、江戸市中への給水
のほか、途中30余ケ所で分水され、武蔵野台地の新田開発にも利
用された。

玉川兄弟は、途中幾多の困難に遭遇したが、工事の責任者川越
藩主松平伊豆守の家臣安松金右衛門の協力も有り、結局1年5ケ
月程という、現在でも難しいほどの短期間で完成させている。
掘削によって出た土砂は掘割の両側に堤として積み上げ、桜並木
などをつくり(小金井など)、当時江戸の人々の行楽の場所ともなっ
ていた。

                平成9年3月   新宿区教育委員会 」

628

多摩川 羽村堰の取水口から四谷までの距離は43キロメートルほど
ですが、高低差は100メートル程度しかなく、ポンプなどが無かった
時代ですから自然流水のための水路の設計・施行には多大の苦心
が在ったものと思われます。
                                                                              < 以下 次回 >


 
 

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