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2012年4月25日 (水)

No.31:無人偵察機についての回想

4月24日の読売新聞は、「イランが昨年12月に撃墜、押収したと発
表した米軍の最新鋭無人偵察機「RQ170」について、機体の分析
と機内に残された情報の解読に成功し、同機を模した無人偵察機の
製造に乗り出したことを明らかにした」と報じました。

Rq170b

RQ-170型無人偵察機については他に幾つかの情報が有りますが、
かのオサマ・ビンラーデンを襲撃する作戦に活躍したと報じられ、米
軍秘蔵の秘密兵器の一つとされています。

それが仮想敵とも云えるイランの手に渡り、しかも別の報道によれば
ハッカー的手法によって無疵に近い状態だったと伝えられていますか
ら米国としては、早急な対応に迫られているようです。

ところで無人機という構想は、ずいぶん前から有り第二次世界大戦の
時代にも各国で試行されましたが、実用化には至りませんでした。

実はこのブログの発行人も1950年代に無人機の開発に関わっていま
した。今回の報道に触発されて旧い資料(殆ど散逸していますが)を探
してみたら、幾つかの記録の断片が見付かりました。

1

上図は防衛庁技術研究所と八欧電機が試作した「改B-3型 無人標
的機」の外観です。この機体の最大の特徴は機首にテレビカメラを
備えた事です。これによって始めて「目を持った」というわけです。

その頃に試行された無人機の類は、後方の操作者が目視できる範
囲に行動が限られ、且つ機体の周囲情況は把握できませんでした。
(今日でもラジコン模型機は地上の操作者が機体の位置・姿勢を見
ながら操縦するのが普通で、何かのアクシデントで視界外に出てし
まうと、処置なしに陥るようです。)

この当時の電子技術の水準は、トランジスタが漸く実用化され始め
た頃で、高周波や大電力は扱えませんでしたから、真空管と混用しま
した。電源も大容量の電池は開発中の水銀電池しか有りませんでし
た。テレビカメラで得た映像信号を基地まで無線伝送する技術も未熟
なものでした。(テレビ放送は既に行われていましたか゛、その技術は
重厚長大的であって軽薄短小を重視する航空機には適用できません
でした。)

2b

それらの難問を一つ一つクリヤして、遂に1958年6月に防衛庁技術
研究所で公開されるに至りました。上図は、それを報じた朝日新聞
の記事です。他の新聞・業界誌なども大きく報じました。

とにかく、今から50数年も前の話です。今から見れば幼稚・未熟な技
術でしたが、良くも纏め上げたものだと感じています。このブログの発
行人は当時は未だ30歳に至らぬ駆け出しの技術者で、一部を担当し
たに過ぎませんが、今日の新聞報道と照らし合わせて感無量なるもの
があります。なお「無人偵察機」と「無人標的機」は正確に云えば目的
用途が異なりますが、この小文は「無人機」という大括りで扱いました。

                                 <以上>

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