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2012年5月12日 (土)

No.34:究極の模型鉄道展 見学

去る4月末に東京タワーで開催された「究極の模型鉄道展」を見学しま
した。これは世界有数のコレクターとして知られる原信太郎氏のコレク
ションの一部を公開展示したものでした。

01

氏のコレクションは自製が1000両ほど、収集品が4000両ほど、と伝え
られています。 しかも、そのサイズは1/33 のものが多く、現在の市
販品の殆どが 1/150 か 1/80 であるのに比して、遥かに迫力・臨場
感が有ります。

出品は数百両もあり、どれも愛好家にとっては垂涎の的の珍品の集積
でした。 以下に、老生が興味を引いた幾つかを紹介します。

下図は、日本の代表的な蒸気機関車 D51型です。このSLについては
鉄チャンの間では周知だと思われますが、1000両を超えるほど造られ
た傑作機でした。この模型は、その中でも特異なもので、煙突まわりの
形状に特徴が見られます。精緻を極めた作りで足回りの出来栄えには
感嘆します。

02_d5124

次は米国のサザン・パシフィック鉄道の4126型です。 このSLの著しい
特徴は、運転室が最前部(左側)に在ることです。通常型のSLでは、長
大な汽罐が前部に在り、運転室はその後に配置されています。それで
すから運転手の前方視界はゼロです。運転手は窓から上半身を乗り
出して辛うじて僅かな前方視界を得ているのが実情です。これは運転
手に苛酷な労働を強い、しかも視野は限られます。

こんな無理な配置をしたのは、石炭を燃料として使い、絶えず投入す
る必要が有ったからです。石炭の投入は機関助手の仕事でした。石
炭は後部の炭水車に有り、機関助手は運転手の指示により作業を
行います。このような事情で、汽罐・運転室・炭水車という配列が定着
したのですが、前方視野が限定されるという、問題を抱え込んだまま
でした。

そこで米国では重油を燃料とする方式が開発されたのです。これだと
液体ですから、コックを捻るという操作で燃料の加減が簡単に行え、
且つ遠隔制御も容易です。
そのような技術開発により、運転室を最前部に配置し、続いて汽罐・
タンク車(重油と水)という構成が可能になったのです。

03_4126

おそらく原氏は、その特異な形状とメカニズムに着目したものと推察
できます。なお、このような形式のSLは欧州でも追随されましたが、
結果としては広まらなかったようです。米国でも主流にはならなかった
ようです。

次の図はドイツのBR01型です。1940年としてありますから、SLの技術
が頂点に達した時代の製品ではないかと思われます。
04_db_br01_1940

この頃になると、機関車として電気機関車やディーゼル機関車が現わ
れ、それなりに存在価値を主張するほどに成長しました。

しかし、そうは云っても長年月かけて成熟した蒸気機関車の存在は揺
らを見せませんでした。世代交代が顕著になったのは第二次世界大
戦の後でした。
                       <次号に続く>

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