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2012年6月13日 (水)

No.40:算聖・関孝和の墓 参詣

東京都新宿区弁天町に浄輪寺という寺が在ります。規模は大きく有り
ませんが、江戸時代の和算の大家・関孝和の墓が在るので知られて
います。

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関孝和については多くの資料が残っているようですが、東京都教育
委員会が設置した掲示板が簡にして要を得ています。

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これによれば、出生地や生年は未詳との事ですが、6代将軍の徳川
家宣に仕え納戸組頭の地位にあったようです。若い頃には「塵劫記」
などによって算法の研鑽に努めましたが、特にその能力が買われた
わけではないようです。

孝和の功績は、筆算式代数学を創案し、高等数学の基礎を確立した
ことです。1674年の著述とされる「発微算法」には、今日の行列式の
概念が提示されているそうです。

また、1861年には円周率を小数11桁まで求めています。これには
131072角形による近似計算の手法を用いました。当時は電卓もコン
ピューターも有りませんから、すべて手計算に拠った筈で、その根気
と緻密な作業に懸けた努力には驚嘆させられます。

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孝和は今日の微積分に相当する算法を創始したと伝えられています
が、これについては異説も有るようです。それでも和算の実力が西欧
の近代数学に匹敵するレベルに達したことは事実であり、「算聖」と
讃えられています。

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孝和には門人も多く、弟子に与えた「免許皆伝書」は今日に残ってい
ます。後世にも、その偉業を考究する研究者も多く、2007年には
300年忌法要が営まれています。また1992年には記念切手も発行さ
れています。

孝和には実子が無く、養子の新七郎が家督を継ぎましたが、算数の
能力は無かったようです。しかも甲府勤番の折に不行跡が発覚して
関家は途絶えてしまいました。この際に孝和の残した貴重な資料が
散逸してしまったと云われています。
            

老生は小学生の頃、浄輪寺の近くに居住していました。当時の先生
から関孝和の偉業については何度も聞かされたものでした。
その時は大した関心も興味もなかったのですが、70年を経て旧居跡
を訪れた際に思い出して浄輪寺を探訪し、参詣して来たわけです。

                              <以上> 

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