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2012年7月10日 (火)

No.44:地下鉄博物館 探訪

東京の地下鉄・東西線・葛西駅に隣接して地下鉄博物館が在ります。
日本の地下鉄は1927年12月30日浅草・上野間に開通したのが最初と
されています。その創始者は早川徳次氏です。( シャープの創業者と
同姓同名ですが全くの別人です )

それから85年を経た東京メトロは、線路延長195km, 駅数 179駅、車
両数 2,707両, 年間乗客数 23億人余 という世界有数の規模と実績
を持つ大鉄道網に発展しました。この地下鉄博物館には、その歴史・
発展経過を示す幾多の貴重な展示が有ります。

老生が興味を持って見学したのは、創業時に運転された1000形に関
するものです。次図はその写真です、良く手入れされていて現在でも
走行出来そうに感じます。

858

この車両の内部に入ると往時の乗客・乗務員が実物大の人形で示さ
れ、また車両内の細かい設備も再現されています。

856

老生は小学生の頃に何回もこの電車に乗りました。東京山の手の住
宅街に住む子供にとっては、下町を走る最新の地下鉄電車は、憧れ
の的でした。今の子供が新幹線に抱くのと同様な感覚だったと思わ
れます。それですから、この展示を昔の記憶と照らし合わせて、種々
の再発見が有りました。

その一つは「吊り革」です。当時の国鉄(今のJR)や市電(今の都電)
では、文字どおり革製のバンドに輪(プラスチック製?)が付いてしまし
た。電車が走行すると、車体の動揺でバンドが左右に揺れて、カチャ
カチャと音を発しました。(乗客が吊り革を使用しない場合)

ところが地下鉄のそれは、革バンドに相当する部分が剛性の素材で
造られていました、その上スプリングの力で不使用時には一定の角
度に固定されました。それですから、不使用の場合にはカチャカチャ
音を出しませんでした。この展示では一定の角度に固定されている
情況が再現されています。

次の発見はドアの開閉装置です。全車両のドアを一斉に開閉するシ
ステムは昭和初期の鉄道では未だ少数派でした。

857  1000形電車の開閉
 システムの操作器は
 ドアの近くに配備され
 いました。


 車掌は停車駅が近付
 くと車掌室から出て来
 て棒状のスイッチを操
 作していました。

 その動作を食い入る
 ように眺めていたもの
 です。

 その上には非常灯?
 が有りました。老生の
 記憶では、停車駅の
 直前で、短時間 点灯
 したように思います。

 駅に進入の際に給電
 の第3軌条が部分的
 に断になるのでしょう
 か?

とにかく、当時の子供の目には何とも新鮮に映ったものでした。

次の興味の対象は、第3軌条と集電靴でした。
銀座線(後に新橋・渋谷と延長されました)は給電方式として、架線とパンタグラフによるシステムを採らなかったのです。

理由は地下トンネルの断面を小さくしたかったようです。この給電方
式を大規模に導入したのは、これが始めてのようです。

877

そのような給電システムの存在と銀座線への導入は、雑誌「子供の
科学」などで知ってはいたのですが、実物を身近に見るのは、始めて
でした。コレクター・シューを集電靴と訳したのは傑作だと思います。

その説明板も次図のように行き届いたものでした。

879s

878s

今回、紹介したのは、最古の1000形に関わるものだけです。
他にも数多くの展示物が有りますが、今回はこのくらいにします。

800  884

左図は入館券で、今は姿を消した硬券に鋏が入れられます。右は
同館のレリーフです。

                               <以上>

 
 

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