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2012年7月29日 (日)

No.45:牛込 天文屋敷跡 探訪

東京都営地下鉄大江戸線の牛込神楽坂駅から5分ほどの所に「日本
出版クラブ会館」というビルが在ります。某日、ある講演会を聴講する
ために赴いたのですが、思わぬ発見をしました。

その会館の塀越しに「新暦調御用所(天文屋敷)跡」という掲示板を見
つけたのです。その文面によれば、当時使われていた「宝暦暦」の不
備を正すために明和2年(1765)に、徳川幕府が設立した由です。
その掲示板の中央部を下図に示します。

070c

記載によれば、この牛込藁店(現 袋町)の施設は、4年ほどで浅草鳥
越に移転しました。暦の修正というミッションは完成し、近くの光明寺
の大樹が観測に差し支える、というのが理由とされています。
なお、序にいうと、手元の科学年表の類を調べて見ると、全く記載を
欠く書物も有りました。

この掲示板の左右には関連した事項の記載が有ります。

071b_2   069c_3

左側は天文屋敷が浅草に移転してからの事項、右側は設立以前の
事項です。それぞれに興味を引くものが有ります。

天文台(測量台)の外観図も示されています。ただし、これが当の天
文屋敷であるか否かは疑問の余地がありそうです。

A

日本出版クラブ会館で配布しているパンフレットには「寛政歴書より
作図」として有ります。寛政年間とは1793~1800年ですから20年以
上も差が有ります。しかも浅草鳥越の施設に就いての史料にも同じ
ような図が見られます。まあ、当時の天文観測施設は大凡こんなモ
ノだったと受け取るべきかも知れません。

なお、蛇足を加えると、浅草鳥越の観測所跡は史跡として台東区教
育委員会の名を付した掲示ですが、牛込袋町のこの史跡はそのよ
うなオーソライズはされていません。民間組織の一隅に文芸春秋社
の平木基治氏の名で掲示されているのみです。

もう一つ蛇足を加えると、この付近は嘗て牛込氏の居城が在ったが
江戸市内の最高所であって、江戸城を見下ろすのは怪しからん、と
して廃城に至った史実があるそうです。してみると、幕府の天文台
でも、そのような立地は好ましからず、として僅々数年で浅草に移転
させられたのではないかと愚考する次第です。
                               <以上>

                            

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