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2012年8月 7日 (火)

No.46:飯田橋散歩道の記念碑

JR中央線・飯田橋駅から九段下に続く目白通りは「歴史のプロムナ
ード」と呼ばれていて、道路の両側には数多くの記念碑が在ります。
特に目立つのは大学発祥の碑です。

この地には明治15年(1882)に「皇典講究所」が創立されて、国典の
研究・神職の養成を行いました。その後、同所を母体として幾つかの
教育機関が生まれました。

次図はその由来を簡潔に示した「発祥記念碑」です。

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その碑文は以下の通りです。

「                発祥記念碑
 明治15年 有栖川宮幟仁親王を総裁としてこの地に皇典講究所創
 設 同所を母体に 山田顕義所長のもと 明治22年 日本法律学校
 (現 日本大学) 明治23年 国学院 (現 国学院大学) を開設す。
 昭和60年11月吉日
                        日本大学・国学院大学   」

この記念碑の他にも個々の学校の記念碑が点在します。
日本大学および国学院大学について次ぎに示します。

063_4064_11060_7    059_9             
 
   

それそれれの碑文を下記に示します。

日本大学 開校の地
明治22年(1689)、ここ皇典講究所内に維新の志士、吉田松陰門下、
時の司法大臣である山田顕義により日本法律学校が創立されまし
た。これは日本大学の前身にあたります。明治28年(1895)に三崎町
に移りました。

国学院大学 開校の地
明治15年(1882)、この地、旧飯田町5丁目に国学を研究する皇典講
究所が設けられました。明治23年(1890)、皇典講究所を母体として、
所長山田顕義によって国学院が開校しました。現在の国学院大学で
す。大正12年(1923)、渋谷に移りました。

次に東京農業大学および東京府立第4中学校 (現 東京都立戸山高
等学校) の開校の碑を示します。

057_5058_7 062_5   061_4        

それぞれの碑文を下記に示します。

東京農業大学開校の地
明治24年(1891)、この地、旧東京市麹町区飯田橋河岸10番地に東
京農業大学の前身、育英黌農学科が徳川育英会により設立されま
した。初代黌主は榎本武揚でした。明治25年(1892)、現在の中央線
である甲武鉄道の新設工事、また農場用地取得のため大塚窪町に
移転しました。

東京府立第4中学校 発祥の地
明治34年(1901)、東京府立第4中学校が、この地にあった皇典講究
所内で開校しました。同所は明治15年(1882)に国学を研究する目的
で設けられたもので、明治21年(1888)、同じ地内に開校された補充中
学校が、共立中学校,東京府城北尋常中学校と名を変えて府立第4
中学校となったものです。その後、府立4中は明治37年(1904)に市谷
駕篭町に移転し、戦後は新宿区戸山町に移り東京都立戸山高等学
校となっています。

この通りには未だ多くの記念碑が建っていますが、今回はここで止め
ておきます。
                             <以上>

   

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