無料ブログはココログ

« No.50:東京ガス 袖ヶ浦工場 見学 | トップページ | No.52:我がカメラ遍歴 (2) »

2012年10月 9日 (火)

No.51:我がカメラ遍歴 (1)

現在では誰も彼もカメラ機能の付いた携帯電話機を身近に持ってい
気軽に撮影を楽しんでいますが、約80年ほども前の時代には、素人
が気軽に写真を撮るということは殆んど有りませんでした。

そのような時代背景でしたが、老生が小学校低学年の頃には、トー
ゴー・カメラという安価なカメラが人気を得て、かなり普及し始めてい
ました。今日のトイ・カメラの元祖といっても良いでしょう。

トーゴー・カメラの特徴は、カメラ本体が極めて安価であった事、特殊
な紙カバーに納めれた1枚撮りのフイルムを使い、暗室を使わずに
現像・焼付を自宅で容易に行えるという事でした。

01_1930_b  02_485

上左図は゛ボックス型トーゴー・カメラと現像・焼付用具一式。上右図
は、外観を一新したトーゴーカメラ "メイリット"。両機とも単レンズ・
固定焦点でしたから、f 値(焦点距離を口径で割った値、小さい方が
明るい)は、8から11ぐらいだったと思われます。シャッター速度はI
(インスタント)とB(バルブ、開放) の2値しかない、という超簡素な仕
でした。

この頃にベストセラーの普及機は、米コダック社のベスト・コダックと
国産 小西六のパーレットでした。どちらも単レンズ・固定焦点ですが
シャッターは、1/25, 1/50, 1/100 とBを備えていました。トーゴー・
カメラはそれよりも下回っていたのです。

しかし、価格は桁違いに安く、1枚撮りで、後処理も自宅で出来ると
いうのは最大の売りでした。老生も小学3年生の時に親にねだって
買って貰い愛用しました。

ただし、暗いレンズと限られたシャッターですから、昼間の戸外での
撮影がやっとでした。対象としては数人の人物というところでした。
それでも同級生を撮影たりして、結構楽しんだものでした。

トーゴー・カメラはトイ・カメラとの位置づけの故か、独自の店舗を構え
店頭で、撮影から後処理までを実演し宣伝に努めていました。また、
次第に性能をアップしたモデルも売り出しました。メイスピイ・メイカイ
などと名づけられました。それらは一流カメラ・メーカーの普及機ぐら
いのレベルに達していたようですが、1枚撮りの特殊フィルムに拘っ
て、ロール・フィルムを導入することは有りませんでした。

この方針は、立ち上げ期にはメリットでしたが、ロール・フィルムの普
及と、それに伴うDPE (現像・焼付・引伸) 業務のチェーン化などの波
に乗り遅れる結果にもなったようです。さらに1941年の開戦の影響で
いつしか、衰退の運命に至ったようです。

しかし、日本カメラ史における一里塚的な存在として、業界の資料な
どで散見することが有ります。

老生が、メイリット・カメラを愛用したのは、1939~1942年ぐらいの間
だと記憶します。戦時体制が強化され、カメラなどを楽しむという雰
囲気では有りませんでした。カメラ・メーカーは光学兵器の開発・生
産に追われ、フィルムなどの感光材も戦場に送られて、市民は入手
出来ませんでした。

そのような時代でしたが、グッチやミゼットなどの超小型カメラの広
告が少年向きの雑誌などに載っていました。生産済のストックを処分
するためだったのかとも思われます。ただし、手に入れてもフィルム
などは既に市場に無く、後処理も困難でしたから飾って置くだけで
した。

1945年に大戦は終わり平和を回復しましたが、敗戦国で物資は欠乏
し、途上国なみの窮乏生活でしたから、市民は写真どころでは有りま
せんでした。それでも2~3年を経るとカメラ工業が復活し始め、当初
は進駐軍兵士の土産品を狙ったようでした。

上記のミゼット・カメラなどは最も早く店頭に出回りました。老生は大
学生になった頃でしたが、乏しい小遣いを投じて買い込みました。
期待は大きかったのですが、18mm サイズは余りにも小さく、DPF業
者の体制も不備でしたから、不満足な画像しか得られませんでした。

03 04_d_35_2

上左図はミゼット・カメラです。そのカタログデータは判然としません
が、シャッターはスリースピードだったと思います。レンズは固定焦点
で、裏紙付きの極小ロールフィルムを使用しました。サイズが小さい
故か、写真店で紛失するというケースが度々有りました。現在では信
用問題になりますが、戦後の混乱期では、仕方が無いの一言でウヤ
ムヤになってしまいました。それやこれやで嫌気が差して、仕舞い込
み、やがて紛失ししまいました。

上右図は、ダン35カメラです。35と称しましたが、裏紙付きフィルム
を使い、映画用35mmフィルムを使う正統的なモノでは有りませんで
した。それでもサイズはライカ判に近く、密着焼でも、どうにか見られ
ました。レンズのf 値は4.5ぐらいと記憶しています。シャッターは普及
機としてはお定まりのスリースピード、焦点合わせは目測でした。

この種のカメラは名機ライカA型 (距離計なし) のイミテーションとも見
る事が出来ます。横長の金属ボディ・金属製鏡胴の繰り出しによる焦
点調整・目測焦点合せ などの機構はライカを模したとも云えそうで
す。しかし、レンズシャッター方式でレンズ交換不能・フィルムの自動
巻止めとシャッター・チャージ連動無し、という点ではライカに遠く及ば
ず、というのが実力でした。尤も価格は桁違いに安かったのですが。

とにかく、このカメラは一応のレベルには達していました。それで老生
は大学卒業の頃まで愛用しました。とは云うものの、ランニング・コス
トは当時の貧乏学生にとっては重荷でした。

1955年頃になって、リコーフレックスが登場し、始めて相当のクオリテ
ィの画像が得られ、しかもリーゾナブルな価格で提供されるようになり
ました。

                                             <以下次号>

« No.50:東京ガス 袖ヶ浦工場 見学 | トップページ | No.52:我がカメラ遍歴 (2) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

I discovered your blog site on google and check a few of your early posts.Continue to keep up the very good operate.I just additional up your RSS feed to my MSN News Reader.Seeking forward to reading more from you later on!…

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/575020/55853210

この記事へのトラックバック一覧です: No.51:我がカメラ遍歴 (1):

« No.50:東京ガス 袖ヶ浦工場 見学 | トップページ | No.52:我がカメラ遍歴 (2) »