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2012年11月26日 (月)

NO.60:柴又帝釈天に人車軌道の跡を訪ねて

柴又帝釈天は、東京都葛飾区柴又七丁目にある日蓮宗の寺院の通
称で、正式名称は経栄山 題経寺です。江戸時代・寛永6年(1629年)
に、日忠および日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院
です。

近代以降は夏目漱石の「彼岸過迄」を始め、多くの文芸作品に登場し
て東京近郊の名所の一つに数えられました。20世紀後半以降は、人
気映画シリーズ「男はつらいよ」の渥美清演じる主人公"寅さん"ゆか
りの寺として知られるようになり、
年始や庚申の日はに賑わいます。

Zenkei

ところで、柴又について老生が興味を持ったのは、この地に嘗て人車
軌道が存在したという事跡を何かで知ったからです。
人車軌道とは、人が客車や貨車を押す鉄道の事です。今日のセンス
からすれば、何とも原始的な交通手段ですが、運輸事業を目的にした
軌道条例(後の軌道法)なる法規が作られ、それに基づいて日本全
土に敷設・運営された時期が有りました。

この柴又の地にも.帝釈天の参拝者のために人車軌道が建設され、
1899年から1912年まで運営したと記録が有ります。実際に柴又を訪
れて見ましたが、幾つかの痕跡が有りました。

その一つは、帝釈堂と祖師堂を結ぶ回廊の欄間の彫刻です。1930年
代に加藤正春の手に依る作だそうです。運用当時の車両とは幾らか
相異が有るようですが、当時の風景を想起できるでしょう。

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この彫刻では乗客6人、押夫2人が明瞭に見え、また周囲の田園風
景や遠くの松林など、牧歌的な当時が偲ばれます。

もう一つは帝釈天の近くに設立された"寅さん記念館"の中に人車軌
道のジオラマが有り、模型が走行しています。

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このジオラマはもかなり精巧な出来で、見ていると楽しくなって飽きま
せん。周囲の田園風景や人々の服装・動作なども忠実に再現されて
いるように感じます。

この人車軌道は金町・帝釈天の約1.2km を結びました。軌道幅は
610mm でしたから、今日の遊園地の施設と大差ないようです。人車
軌道としては珍しく複線式でした。乗客定員は6人で、かなり窮屈だっ
たと思われます。最盛期には64両も備えていたそうですから、繁盛し
たようです。

開通当時は原敬首相も愛好者であり、作家の大町桂月は「東京遊覧
記」と云う書物の中で紹介しています。

人車軌道は一時期、全土に広まりましたが比較的短時日で終末を迎
えたようです。建設費が安いというのが唯一のメリットでしたから、や
がて動力を備えた鉄道に替えられるまでの過渡的な交通機関でし
た。
                              <以上>

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