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2012年11月27日 (火)

No.61:関口芭蕉庵を訪ねて

東京都文京区関口町に「関口芭蕉庵」と云う史跡が有ります。一般に
「芭蕉庵」と云うと深川に在ると思われているようですが、深川に居を
定める以前に神田上水近くの関口に住んでいた事があり、その地に
は「関口芭蕉庵」なる史跡が有ります。

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上図はその正門ですが、ここは閉められていて、左側に通用門が有
り、見学者はそちらから入るようになっています。
この地は早稲田大学から近く、大隈講堂からリーガ・ロイヤル・ホテ
ルに沿った小道を行き、出会う大通りを横断して進むと神田川の流
れが有ります。その橋を渡ると川沿いの遊歩道が有ります。その遊
歩道に面して、この門かが見付かります。

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松尾芭蕉は1677年から1680年に至る4年間、この地の「竜隠庵」に
住んでいました。意外な事に、ここで神田上水の工事に関わっていた
そうです。その分野の技量を有していたのか否かは判然としないよ
うです。とは云っても芭蕉の仕えた藤堂藩の開祖である高虎は築城
の名人でしたから、家臣であった芭蕉にも相応の手腕はあったのか
も知れません。

1926年 芭蕉 33回忌に「芭蕉堂」が造られ、芭蕉と弟子の像を祀りま
した。

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1950年には「さみだれ塚」が建立されて、芭蕉の真筆の短冊が埋め
て墓としました。

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  芭蕉の墓は全国に散在しているようです、
  それだけ偉大な存在で多くの弟子からの
  尊敬を集めていたものと思われます。

    関口芭蕉庵は1926年に東京府(今の東京
    都)の史跡に指定されました。

その後、280回忌(1973年)に有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」の句碑が建てられました。残念なことに文字は摩滅して読取れないほどになっています。

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この関口芭蕉庵は第二次大戦の戦災で、何度か災禍を受けたそうで
す。それですから、現在の建物・碑の類は再建したものと思われます。
現在は講談社・光文社などが中心になって設立した「関口芭蕉庵保存会」に依って維持管理されているとの事です。

庵内の風景は 瓢箪池を中心に樹木が茂り、小道が走り、適度の起伏が有る日本庭園を形成し、都心とは思えないほどの環境です。あまり知られていないようですが、意外な憩いの場があるものだと感じました。     

                                 <以上>                                 

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