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2013年1月13日 (日)

No.65:横浜の記念碑を探る (1)

日本が開国した時に横浜はその窓口となり、多くの欧米の文物が流入したことは歴史の示すとおりです。そのために、日本で初という事業が横浜で生まれた事例は少なからず有ります。またその起業には内外の人材が当り、精力的に推進しました。

今、横浜の街を散策すると、新規事業の創設とそれに関わった人物についての記念碑の類が多い事に気が付きます。その密度は恐らく全国一ではないでしょうか? 散策の折に収集した資料を元に、幾つかを紹介します。

「ヘボン博士邸宅跡」

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この記念碑は旧横浜居留地39番・現横浜地方合同庁舎 の前に有り
ます。1949年に建てられました。

ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn)は、米国長老派教会系医療伝道宣教師であり、 ヘボン式ローマ字の創始者として知られ、明治学院大学の創始者でも有ります。


博士は1815年生まれ、1836年にペンシルバニア大学より医学博士を授与されました。1859年に伝道・医療のために来日、横浜で診療所を開き、診療活動に当りました。博士の診断・治療・手術を受けた日本の著名人は多数にのぼったという事です。 
1863年に男女共学のへボン塾を開き、1867年には 日本初の和英辞典「和英語林集成」を編纂し、「美国平文」の名で出版しました、この時に日本語の標記のためにローマ字(ヘボン式)を考案しました。このローマ字は広く普及し、今日に至っています。

博士は旧約聖書や新約聖書の邦訳についても多くの貢献が有ります。
1887年には私財を投じて東京白金に明治学院を創立し自ら総長に就任しました、今日の明治学院大学の前身です。この時に博士は既に72歳の高齢でした、布教・教育に懸ける情熱は敬服に値します。

1905年には永年にわたる多くの社会活動に対して日本政府から勲三等旭日章が贈られました。晩年には病を得て帰国し、1911年に没しました。

「日本における新聞発祥の地」
横浜の中華街は有名で、その中に関帝廟通りと云う大通りが有ります。その関帝廟の直ぐ前に、この碑が有ります。

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その由来は碑文に明記されています。
「ここ、横浜の元居留地141番は1864年6月28日、ジョセフ彦が、「海外新聞」を発刊した居館の跡である。彦はリンカーン大統領と握手した唯一の日本人であった。リンカーンの民主政治が勃興期の米国の力に負うところ大なるを体得し、開国したばかりの祖国のため日本最初の新聞を創刊し、「童子にも読める新聞精神を提唱した。読みやすく,判りやすい新聞を、創成期の日本の新聞界に植えつけた新聞の父・彦の功は大きい。
さらに木戸孝允、伊藤博文・坂本竜馬など多くの人々に民主政治を伝えた彦、民主主義の先駆者として、および新聞を読むほどの人々の心の奥に残る文化の恩人であった。
1994年6月28日 海外新聞発刊130年記念日に ジョセフ彦記念会」 

「日刊新聞発行の地」
新聞に関わる碑は、横浜市中区本町6丁目にも有ります。

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1870年に日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」がこの地で誕生したということを記念する碑です。碑文は、旧来の同種刊行物が冊子型木版刷りであったのを、活字一枚刷りの現代型という画期的な様式に踏み切ったことを強調しています。

この新聞の発刊には、当事の神奈川県令(今の県知事)の提唱により、活版印刷の先駆者・本木昌造らが協力し、記者として仮名垣魯文らが参加しました。貿易振興・文明開化の推進に官民が努めたことが伺われます。

この新聞は一定の成果を挙げましたが、後に資本系列および名称は二転三転したようです。また、全国紙の毎日新聞とは関係がないようです。

この碑は1962年に神奈川県・横浜市などが協賛し、神奈川新聞社が旧生糸試験所敷地に建立しました。日本初の日刊紙・新様式の紙面の創造・大新聞国への発展の端緒・文明開化の窓口、などの意義・功績を高く評価したからでしよう。その後、本来の創刊の地が判明して、2009年に現在の場所に移築・再建したと裏面にと記されています。
                              <以下次号>

                      


                             

  

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