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2013年3月19日 (火)

No.75:航空機と郵便切手 (1)

老生は郵便切手のコレクターでは有りませんが、航空機オタクの末席には位置します。手元の資料の整理かたがた、小文に纏めました。

レオナルド・ダ・ビンチの手稿より

文芸復興期に登場し万能の天才と称されたレオナルド・ダ・ビンチは「空飛ぶ夢」の具体化に先鞭を付けました。彼の構想はスケッチに残されているだけで、模型も試作品も残されてはいませんが、航空機についても偉大な先駆者であったことは確かなようです。

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左図はダ・ビンチの構想した滑空機、右図はヘリコプターです。特にヘリコプターは有名で各地で開かれるダ・ビンチ展では模型が必ず展示されます。この図にについては、このような構造では、仮に動力が得られたとしても飛行は困難であろう、とする批判が有るようです。一方では実際に模型を造って実証した方もいるようですし、ある科学雑誌では付録とした例も有ります。

オットー・リリエンタールの滑空機

ドイツの機械技師オットー・リリエンタールは、グライダーを自製し自ら空を飛んだ最初の人とされています。彼は鳥の翼を研究してグライダーを考案しました。左図はその滑空機、右図は彼の姿です。


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リリエンタールは1896年の飛行実験中に墜落死亡するまでに2000回もの滑空実験を行いました。総飛行時間は約5時間に達します。
彼の開発した機体には未だ操縦のための機構は無く、専ら体の姿勢によって重心を移動させる、という手法によりました。
また、動力を着けるという発想は有ったようですが、実行に至らぬうちに事故死という悲劇に至りました。
彼は機械技師としても有能であり、幾つかの特許(航空機関連では有りませんが)を得ているほどでしたから、もし実現していたらライト兄弟に先んじたかも知れません。

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リリエンタールのデーターはライト兄弟にも影響を与えた、という説が有ります。彼は飛行実験の綿密な記録を残しているそうです。人が空を飛んだという伝承は各地に存在しますが、確かな記録が残っているのはリリエンタールが最初とされています。

初の動力飛行に成功したライト・フライヤー機

人類史上,初めて動力を備え自力で浮上できる航空機は米国のライト兄弟により開発されました。1903年の事です。彼等は手製の風洞を使って翼型の研究を重ねるなど、正統的な技術を積み上げたと云われます。

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ライト機の特徴は操縦装置を備えたことです。単に浮上したり、直線飛行するだけでなく、目的に向い機を制御することが出来ました。今から見れば当たり前の話しですが、とにかく自力で浮上する事が大難問であったのです。

なお、付言しますとライト機は先尾翼(鴨型)という形式でした。また、複葉機として出発したのにも、それなりの設計ポリシーが有りました。彼等は思い付きを強引に推し進めるタイプのいわゆる屋根裏の発明狂とは一線を画していたのです。

ところが、ライト機が全盛を誇った期間は数年に過ぎませんでした。たちまち、追随者が現れたのです。ライト兄弟は特許を盾にして頑張ったのですが、巻き返しは不発に終わりました。しかしながら、動力飛行機の発明者としての名声は不滅と云うべきでしょう。

1903_4 左図は1928年に開催の国際民間航空会議の折に発行された記念切手で、ライト・フライヤー機を示して偉業を称えています。

  <以下次号>


                        

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