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2013年3月22日 (金)

No.76:航空機と郵便切手 (2)

功を逸したラングレー機 "エアロドーム"

ライト機の成功に先立ち、有人動力飛行機の実験にトライした人がいました。残念ながら飛行には失敗しましたが、先駆者としての功績は評価されるべきでしょう。

1903_splangley_aviation_pioneer_2 1903

サミュエル.P.ラングレーは著名な天文学者であり、スミソニアン博物館館長の要職にあった人物です。1896年には模型飛行機を試作し2kmの飛行に成功しました。次いで1903年10月に有人動力飛行機 "エアロドーム"を完成させ、ポトマック河で船上のカタパルトから射出する実験を行いました。1903_4実験は2回行いましたが、成功しませんでした。(左図)
ラングレーは学者としての実績は有る方ですが、工学技術については専門ではなかったようです。
この実験の2ヶ月後にライト兄弟は成功を収めたためか、影に隠れてしまった感が有ります。そのライト兄弟も何度かラングレーに教えを求めたと伝えられています。
後年になって、ライト兄弟のライバルであったグレン・カーチスが ラングレー機の復元機を作り、再チャレンジを試みましたが、かなり作為的な行為が有ったとも云われます。
とは云うものの、ラングレーが航空界のパイオニアで有ったことは確かで、それだからこそ記念切手にもなっているのでしょう。

日本における初飛行は?

日本において、有人動力飛行機が初めて飛行したのは1910年の事でした。

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飛行機が軍事用として有用な機材になるであろうという事は予測されましたから、世界各国の軍部は研究開発に力を入れました。日本も例外ではなく、陸軍は2人の将校を欧州派遣して操縦術の習得と機材の購入を命じました。

徳川好敏大尉はフランスで万国飛行免状を得て後、アンリ・ファルマン複葉機を購入して、年末に帰国しました。(前2図)

日野熊蔵大尉はドイツで操縦術を学び、ハンス・グラーデ単葉機を調達して帰国しました。(次2図)

1909 1909_hans_grade

この当時の交通手段は船便しか有りませんでしたから、往復だけでも約2ヶ月ぐらいは要しました。してみると、お二人とも操縦術の習得には、せいぜい数ヶ月しか掛けられなかったと思われます。

両大尉による日本初飛行は1910年12月19日に、東京代々木練兵場で行われました。政府高官・陸軍首脳から市民に至る多数の見学者を前にして挙行されたのです。

この時の記録は、徳川大尉の操縦するアンリ・ファルマン機が、高度 70m, 距離 3000m, 時間3min であり、日野大尉の搭乗したハンス・グラーデ機では、高度 20m, 距離 1000m, 時間 1min 20sec, でした。

この数値は、今日から見れば何とも幼稚極まると感じるかもしれませが、当時は地面から、どれだけ離れるかが関心事であったと伝えられています。
また、機材はすべて輸入品でしたから、組立・整備には苦心したと思われます。両大尉の他は見た事も触れた事もない複雑高度なメカニズムだったのです。

未だ開発途上国の域を脱しなかった国情を考え併せれば、ライト兄弟の発明から僅か7年後に操縦の技能を獲得したのは驚くべき事でした。付言すると、翌2011年には早くも国産機の試作が行われています。

なお、代々木練兵場は、現在は代々木公園となっていますが、その一隅には「日本航空発始之地」という記念碑が建っています。

                        <以下次号>

 

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