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2013年3月29日 (金)

No.77:航空機と郵便切手 (3)

女性パイロットの草分け ハリエット・クインビー

米国初の女性パイロット・ライセンス取得者であり、ドーバー海峡横断に成功した初の女性パイロットとして著名。

1911 1911_harriet_quimby

彼女は1875年生まれ、劇評や映画脚本つくりを職業としていましたが1911年に米国女性として初のパイロット免許を取得しました。その翌年の1912年には英仏間のドーバー海峡の横断飛行に成功しました、これも女性としては初の快挙でした。

その直ぐ後で開催されたボストン飛行大会で乗機のブレリオ単葉機が事故を起こし、彼女は不幸にも死亡しました。ライセンスを得たのは既に36歳であったのですから、その意欲には驚きます。さらにドーバー海峡横断は、当時は冒険飛行家が競った時代でしたから、それを女性の身で敢行したファイトには感心します。記念切手が発行されたのは、その勇気と成功を称えたものでしょう。

国産初の飛行機・飛行船

日本で有人の動力付き飛行機が飛んだのは1910年でしたが、その翌年には早くも国産機の飛行に成功しています。

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これは実に驚くべき早さです。欧米先進国に追随して、このような先端技術に関心を抱き且つ国産化を推進した国は他には有りませんでした。ただし、エンジンを含む主要なメカは輸入しました。特にエンジンは難物で、素材も工作技術も電気系部品も、当時の日本の工業技術では及びも付かぬレベルのものでした。

この計画を実施するために陸軍は「臨時軍用気球研究会」を結成して研鑽に努めました。徳川好敏大尉が仏国より購入し、且つ代々木練兵場で飛行に成功したアンリ・ファルマン機を参考にして、開発を進めたのです。試作した機体は "会式1号" と命名され、期待どおりの性能を示しました。

形態がファルマン機に酷似していますが、当時としては止むを得なかった事と思われます。この機のレプリカは埼玉県所沢の航空記念館に展示されています。

1 Photo

左図は "会式1号" 右図は "山田式飛行船" を示します。

気球に関しては陸軍は早くから関心を持ち、日露戦争でも偵察や砲撃の観測に試用したと伝えられています。しかし、これは動力を持たぬ繋留式でした。動力付きの飛行船は山田猪三郎が1910年に造ったのが最初とされています、動力と舵を付ける事により、自由飛行が可能になりました。

一方、陸軍では「臨時軍用気球研究会」が "雄飛号" という飛行船を開発しました。1915年の事で、山田氏の飛行船よりも時期的には後ですが、資料によっては、これを日本初と記しているようです。
この記念切手は明記してないのですが、
形態から見ると山田式と判断できます。

山田氏は軍部には在籍せぬ在野の人物だったようです。また、飛行船そのものが短命だった故か、航空史の中で大書される事はないようです。しかしながら出身地の和歌山では郷土の先覚者として記念碑が建てられています。また、飛行船の復元模型を造り飛行させるイベントが開かれたことも有ったそうです。

飛行機も飛行船も欧米で発明された文明の利器ですが、僅かのタイムラグで導入し、国産化を図った先人の見識と努力には敬服します。

                          <以下次号>


                             

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