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2013年4月 7日 (日)

No.79:航空機と郵便切手 (5)

「太平洋横断のミス・ビードル号」

大西洋横断に成功した次に、冒険飛行家たちのチャレンジ目標は太平洋無着陸横断飛行でした。このテーマに挑み成功したのはクライド・ヘングホーン、ヒュー・ハンドンの2人でした。彼等は愛機ミス・ビードル号を駆って、青森県三沢から米国ウェンナッチ市までの大飛行を成し遂げました。1931年10月4~5日の事です。

Photo Photo_2

彼等は当初は世界一周早周り飛行を志し、欧州から日本まで飛んで来たのですが天候の悪化により、新記録の達成が不可能になったので、太平洋横断に切り替えたと伝えられています。
ベランカ・スカイロケット J-3型機は立川飛行場で整備・改修を行ってから、青森県淋代海岸に運ばれました。この地を選んだのは滑走路が適していること、最短距離の大圏コースが可能であること、によるとされています。

彼等は、この地から飛び立ち、8000km を41hr で飛翔しました。離陸してからは、抵抗を減らすために脚を切り離すという破天荒なこともしました。(これは整備・改修時に計画的に、切り離して投棄するメカにしたのです) それですから着陸時には胴体着陸という荒業を敢行しました。そのために軽微な怪我をしましたが、大事には至りませんでした。

Photo_3 出発前の好天を待つ間に、土地の人々は彼等に献身的な協力をしました。実は入国した時には官憲からスパイ扱いされ事もあったので、土地の人々の好意は身に沁みたようです。

その縁で三沢市とウエンナッチ市は姉妹都市として親交を結ぶようになりました。有名な林檎のリチャード・デリシャス種は、かの地から伝えられたものでした。

彼等の壮挙から80年を経て、ミス・ビードル号のレプリカ機が三沢の空を飛ぶという一大イベントが行われました。
米国では有志の方々が復元機を造り上げていたのですが、出発の地である三沢で飛ばそうという気運が盛り上がり、内外の協力を得て、2011年に実現したのです。恒例の三沢基地航空祭に合わせて、このプロジェクトは実現しました。

前左図は、その時に発行された記念切手です。前右図は米国の切手ですが、こちらの方は横断飛行に成功した直後の発行と思われます。

ベランカ・スカイロケット J-300 のエンジンは450hp 当時としては、かなりの出力でしたが、今の軽飛行機なみ、通信機や電波装置など有るか無きか、というほどの非力な機材でした。正に隔世の感が有ります。

「亜欧連絡飛行は日本人の手で、神風号の快挙」

1930年代にフランス航空省は東京・パリ間を100時間以内での飛行に懸賞金を提示しました。これは、無着陸の制約条件は無く、給油のための着陸は出来たのですが、全行程が長いので困難視されていました。

19379 1937_kamikazed
フランスなどの著名な飛行家が何度かチャレンジしましたが、栄冠を手にした人は現れませんでした。
この難題に対して朝日新聞社が応え、世紀の壮挙を成し遂げたのです。

当時、日本陸軍は高速連絡機 "キー15" の開発を進めていましたが、世界水準を抜く高性能を示しました。上左の切手の下側の機影・上右の機体が同機です。その形態や塗装デザインは今日でも通用するほど洗練されたものでした。

朝日新聞社は陸軍から同機を借り受けて「神風」と命名し、東京・ロンドン間の長距離飛行を計画しました。1937年には英国でエドワード6世戴冠祝賀があり、それを祝福する親善の意味も有りました。この大飛行を成功させた操縦士は飯沼正明 26歳、機関士は塚越賢爾 38歳と云う若手とベテランのペアでした。

1937年4月6日に立川飛行場を飛び立った神風は約10ヵ所で給油・整備を行い、94時間17分56秒でロンドン飛行場に無事着陸しました。実飛行時間は51時間19分23秒と記録されています。総飛行距離は 15,357km ですから平均速度は 300km ほどで、当時としては驚くべき高速でした。

この飛行の成功は全世界にセンセーションを巻き起こしました。その時代では、日本を含む東アジア諸国は後進国で有り、技術の粋を集めた航空機を設計・生産・運航することは不可能であると、欧米人は思い込んでいたのです。
その時期に、速度 500km, 航続距離 2400km, という戦闘機より早く、双発爆撃機よりも航続力のある名機を、日本人が独力で造り、且つ欧米のパイロットが為し得なかった記録を樹立したのですから、世界が驚倒したわけでした。

この大飛行に際しては、小出力の無線機・気圧高度計など最小限の装備と簡単な地図だけで飛んだのですから、機体そのものは優れていても、スリルに満ちた冒険飛行でした。
この大飛行を契機として、日本の国際的地位は高まりましたし、国民の航空に向ける関心も一段と強くなったのです。
 
                             <以下次号>

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