無料ブログはココログ

« No.85:日本橋界隈の史跡 (1) | トップページ | No.87:日本橋界隈の史跡 (3) »

2013年5月31日 (金)

NO.86:日本橋界隈の遺跡 (2)

「三浦安針 屋敷跡」 今に残る安針通り

日本橋三越の近く、室町1-10 に在るビルの一隅に "三浦安針屋敷跡"という碑が建っています。

08 三浦安針とは英国人ウィリアム・アダムスのことで、徳川家康に仕えて幾多の業績を残しました。

その碑文は下記の通りです。

"ウイリアム・アダムスは西暦1464年イギリスのケント州に生まれ、慶長5年(1600年)渡来、徳川家康に迎えられて江戸に入り、この地に屋敷を給せられた。
造船・砲術・地理・数学等に業績をあげ、ついで家康・秀忠の外交特に通商の顧問となり、日英貿易に貢献し、元和6年(1620年)4月24日平戸で没した。日本名三浦安針は相模国三浦逸見に領地を有し、またもと航海長であったことに由来し、この地も昭和初年まで安針町と呼ばれた。"

なお、碑文は英語も併記して有ります。

12 Photo

この碑はビルの一隅に在って判り難く、辿り着くのに行きつ戻りつしましたが、ふと見た電柱に "安針通り" との表示があり、その直近に在りました。

三浦安針は、前回に記したヤン・ヨーステンらと共に、リーフデ号に乗組み豊後沖で遭難し、以来日本に永住しました。航海士でしたから航海・造船および関連の理系知識をマスターしていました。

安針は家康に命じられ、伊東の地で日本初の洋式帆船を建造しました。伊東市大川河口には、その事跡を記念する碑と像が建っています。上右図がそれです。

彼は相模国三浦逸見(現・横須賀市)に家康から与えられた領地を持っていました。京浜急行電鉄には "安針塚" という駅が有ります、その付近が彼の領地だったのでしょう。近くには塚山公園が在り、夫妻の供養塔(安針塚)が現存しています。また、菩提寺は "濤江山浄土寺" といい、これも近くに在ります。

「長崎屋跡」

日本橋三越の近く、JR新日本橋駅出入り口に「長崎屋跡」という中央区民文化財の掲示が有ります。その文は下記のとおりです。

" 中央区民文化財 長崎屋跡  日本橋室町四丁目二番地付近
江戸時代、ここには長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸参府時における定宿でした。諸外国の打ち、鎖国政策のため外国貿易を独占していたオランダは、幕府に謝意を表するために江戸へ参府し、将軍に謁見して献上品を贈りました。
江戸参府は江戸前期から毎年行われており、商館長の他、通訳、医師などが長崎
からにぎやかに行列して江戸に来ました。しかし、経費の問題もあり、江戸中期からは4年に1回となっています。
江戸参府は江戸前期から毎年行われており、商館長の他、通訳、医師などが長崎からにぎやかに行列して江戸に来ました。しかし、経費の問題もあり、江戸中期からは4年に1回となっています。
この地は鎖国下の日本における数少ない西洋文明との交流の場として貴重であり、区民史跡に登録されています。
        平成二十一年五月      中央区教育委員会"

57
上図は、中央区教育委員会による掲示です。左に書かれた図は葛飾北斎の作です。
                                                    <以下次号>

                        

« No.85:日本橋界隈の史跡 (1) | トップページ | No.87:日本橋界隈の史跡 (3) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/575020/57495512

この記事へのトラックバック一覧です: NO.86:日本橋界隈の遺跡 (2):

« No.85:日本橋界隈の史跡 (1) | トップページ | No.87:日本橋界隈の史跡 (3) »