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2013年6月10日 (月)

No.87:日本橋界隈の史跡 (3)

「郵便発祥の地」

東京・日本橋郵便局には「郵便発祥の地」と記した記念碑と、郵便制度の創設に尽くした前島密の胸像が在ります。

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日本で新式郵便制度が発足したのは明治4年(1871年)の事でした。江戸時代には飛脚制度が存在し、それなりの利便を提供していましたが、明治政府は西欧諸国の郵便制度を導入し近代化を図りました。
この時に近代郵便制度の創立を推進したのが越後国頚城郡(現新潟県上越市)の出身の前島密でした。彼は土地の豪農の次男として1835年に生を受けました。

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長じて1847年に江戸に出て医学・洋学を修めました。1865年には薩摩藩の洋学校の講師、1866年には幕臣 前島家の養子になりました。
1869年には明治政府に招聘されて民部省・大蔵省に出仕、1870年に郵便制度の創設を建議氏、視察のために渡英しました。
帰国後には駅逓頭に任ぜられ、郵便制度創設に尽力、日本の近代的郵便制度の基礎を確立しました。
彼は教育にも深い関心を持ち1886年には東京専門学校(現早稲田大学)の2代目校長に就任しました。1902年には男爵を授けられ、次いで1905年には貴族院議員に選任されました。

上図は現在の日本橋郵便局で、創業時には駅逓司と東京郵便役所と称しました。前者は新しい郵便・通信事務を総括する中央機関であり、後の逓信省に相当します。後者は実務処理を行いました。先に示した記念碑と銅像は郵便創業90は周年を記念して、昭和37年4月に設けられました。

「名水白木屋の井戸」 記念碑

日本橋1丁目4番地の "コレド日本橋アネックス" の敷地内に、この碑が在ります。

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その碑に並んで在る説明板には次のように記されています。

「江戸時代の初め、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず、付近の住民は苦しんでいました。
正徳元年(西暦1711年) 白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸から一体の観音像がでたのを機に、こんこんと清水が湧き出たと伝えられています。
以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれてきました。
白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。
この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋一丁目交差点角にあったものを平成十六年(西暦2004年)ここに移設再現したものです。」

なお、この遺跡は東京都指定旧跡とされています。

「漱石名作の舞台」 記念碑 

上記の "白木屋名水の井戸" 記念碑に並んで "漱石名作の舞台" 記念碑が在ります。

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この碑にも並んで説明文の碑が在ります。それの文は以下の通りです。

「江戸っ子漱石はロンドンを舞台にした作品にも、日本橋を言挙げしたほどだ。青春小説「三四郎」、倫理探求の名作「こころ」には、ここの路地の寄席や料理屋が描かれている。 
平成十七年六月六日
早稲田大学第十四代総長 奥島孝康 識」 

文豪 夏目漱石は早稲田に生まれ、本郷に住み、再び早稲田に居を構えた方ですし、一時期は東京専門学校で教えた事もあるそうです。また、コレド日本橋には早大の日本橋キャンパス(ファイナンス研究科)が在るそうですから、漱石・日本橋・早大を結ぶ三題噺が成立するのかも知れません。それにしても、意外な発見でした。
                      <以下次号>

                    

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