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2013年9月10日 (火)

No.94:封印された戦時下の郵便切手

逓信省令第二十四号と云う通達文書が在ったそうです。これは、大戦下に発行した郵便切手の中で意匠が軍国主義・神道の象徴に関係ある郵便切手の使用を禁止する、との指示でした。
米占領軍の直接指示によるものか、日本政府の自主規制によるものかは判りませんが、些細な事象まで干渉された例の一つでしょう。

老生は切手のコレクターでは有りませんが、ある国の切手が、その国の歴史や国情を物語る有力な資料になり得るとの事を知り、あの熾烈な戦時下、軍国主義の横行した時代の切手はどのようなモノが有ったのか調べてみました。

省令第二十四号は、発売禁止として19種を指定しています。以下、種類毎に紹介します。

「軍人・歴史上の人物」

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左から、乃木大将(陸軍)、藤原鎌足公、東郷元帥(海軍)、楠木正成 が描かれています。乃木大将・東郷元帥は日露戦争の英雄ですが、太平洋戦争よりも遥かに前の時代の人です。

藤原鎌足(614-669)は天智天皇を援けて大化の改新を成し遂げた功臣であり、楠木正成(1294-1336)は後醍醐天皇に仕えて建武の中興に力を尽くした武将です。しかし、太平洋戦争には全く関係有りません。
また、乃木稀典(1849-1912)は旅順攻撃戦、東郷平八郎(1848-1934)は日本海海戦で勇名を馳せた軍人ですが、これまた太平洋戦争とは時代が違います。
それだのに何故タブー視されたのか、大いなる疑問です。米占領軍軍の意向に日本側が過剰反応したのでしょうか?

「航空機とその関連」

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左から、陸軍三式戦闘機、東大・航研機、少年航空兵、産業戦士、を描いた切手です。三式戦闘機は"飛燕"の愛称でも知られる、日本では唯一の液冷エンジンを搭載した戦闘機でした。スマートな形態と高性能を有し、今でもフアンは多数居ます。あまり知られていませんが、ラジエーターを胴体中央近くの下部に配置した設計に特徴が有りました。数年後に現れた米国のP51型戦闘機も同様な配置をしましたから、飛燕は先駆者であったわけです。
東大・航研機は1938年に世界記録を樹立したことで著名です。その時の記録は、長距離飛行 10,651.011km  平均速度 186.192 km/h でした。日本の航空技術が世界水準に達した時期の象徴でした。
少年航空兵という制度は、名称は違っても世界各国で推進・実施したようです。航空勤務は極めて複雑緻密なものであるから、鋭敏な頭脳と新鮮な神経とを有する少年期から養成する必要がある、と云うのが趣旨でした。10代後半の心身ともに優れた若者を募集し、これに猛訓練を授けて2年ほどで下士官に任官し、パイロットになりました。実戦においては多くの成果を挙げましたが、犠牲者の多かったのも事実です。戦後、各界で活躍した人士には、少年航空兵出身の方が、かなり居られるようです。
産業戦士というコトバは死語に近くなっていますが、航空機を始め兵器の生産には多くの民間人が駆使されました。戦時には不急不要と見られた職業に就いていた者は、軍需産業に動員されたのです。
  

「戦意高揚および国威誇示」 

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06_a08_a上左から、富士山と八紘基柱、敵国降伏の扁額、盾と桜、椰子と東亜地図、下左から、ガランビ灯台、金剛山、の意匠が書かれた切手です。

富士山は云うまでもなく日本の象徴ですが、八紘基柱は、皇紀2600年(1940年)の奉祝事業として造られました。彫刻家日名子実三の作です。建設当時は"八紘一宇"の文字が刻まれていたのですが、これが"All over the World"と英訳されて"世界制覇 "の野望を示すものとして削除されました。戦後の一時期は荒廃しましたが、1962年に復元し平和の塔と改称しました。
敵国降伏の扁額は九州筥崎宮の楼門に現存します。これは元寇に際して亀山上皇の御宸筆と伝えられています。盾と桜は日本の武力と優美を象徴化したものでしょうが、特に故事来歴は無いようです。
椰子と東亜地図は"大東亜共栄圏"を誇示したものでしょう。ガランビ灯台は台湾南端の観光地で、当時は日本領土でした。金剛山は北朝鮮の名勝地で、これも当時は日本領土でした。

「神 社」

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左から、春日神社、厳島神社、東照宮、明治神宮、です。

16a_2 16b_460415_3 この2枚は、靖国神社です。意匠にはかなりの差異が見られます。左は戦時のもの、右は戦後のものです。値段に大差が有りますが、これは戦後のインフレ経済の結果です。また、戦後でも右横書きで "大日本"と記しているのも興味を惹きます。
これらの神社の中で、靖国神社を別とすれば、軍国主義とは関係ありません。それでも敢えて封印したのは、米軍が"日本神道"を警戒し危惧の念を抱いていたからでしょう。また、日本政府も米軍の意図を忖度して過剰な自己規制をしたものと感じ取れます。            
                      <以上>

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