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2013年12月 3日 (火)

No.102:秋葉原ラジオ・ストアの閉店に想う

先月末から今月始めにわたり、テレビ・新聞は秋葉原のラジオ・ストアの閉店を報じました。設立は1950年だそうでから64年にわたり無線愛好家に親しまれて来た存在でした。

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老生は学生時代から頻繁に通っていましたから、11月30日に閉店と聞き、早速駆けつけました。同じように別れを惜しむ人たちが多数来ていました。

しかし、集まって来ていたのは概ね中高年の方々のようでした。また、店主の人も高齢者でも60歳代ぐらい見受けられました。
してみると、この種の電子部品店が神田神保町の露店商から出発したという経緯を実見した者としては老生ぐらいではないかと感じました。

そこで、殆んど知られていないであらう往時の様相を老生の懐旧談として以下に披露します。 

秋葉原のラジオ・ストアのような形態の部品屋さんの起源は、太平洋戦争の敗戦直後に遡ります。それは書店街として著名な東京神田神保町あたりの靖国通りに展開した電気部品を扱う露店商でした。

そこには、戦時中の軍用通信機に使う筈の部品がズラりと並んでいました。それらが、どのようなルートを経て露店に並べられるようになったかは、明らかでは有りませんが、戦時中に軍の施設や軍需工場に蓄えられていたモノが、敗戦後の混乱時に流出したのです。
当時は無政府状態に近い世相でしたからか、正規の払い下げの手続きを経たモノは少なく、大部分は限りなく非合法に近い手段によって市場に流れたと思われます。

その靖国通りの露店商は数年後に、秋葉原に移り店舗も現在のガード下の集合店舗に近い形態に変わりました。ラジオ・ストアはこの時期に生まれました。
また、扱う商品も再建・復興した部品メーカーの新製品が増え、旧軍部の放出品は少なくなりました。

老生は、靖国通りの露店商の時代から近年に至るまで、頻繁に秋葉原の部品屋さんに通いました。その間の想い出を幾つか次に示します。

1950年前後、老生は大学の卒業研究をしていましたが、実験機材を調達するために頻繁に訪れました。その時はマイクロ波の真空管を探すためでした。戦時中にレーダー用として生産したモノが秋葉原の部品屋さんに流出していたのです。価格は比較的安かったのですが、戦時の粗製濫造で当り外れがあり、数個購入して1個でも使えればラッキーでした。

この種の店は細かい電子部品を扱うのが建前ですが、中古の機材を扱った時期が有りました。老生の記憶では、驚くべき事に米軍の無線機が売られている事が有りました。もちろん店頭に並ぶわけでは有りませんが、いわゆるクチコミ情報が流れて、購入する人が居ました。
ラジオ・アマチュアの世界には国境を越えたネットワークがあって、そんなルートから信じ難い情報も入るようでした。老生の勤務先でも技術調査のためにこのような店を介して米軍機材を入手した事が有りました。

この種の店に通い、多大の便宜得たのは無線愛好家に限りません。日本発で世界に広まったロボット・コンテストの挑戦者たちも頭脳に相当する電子部品の調達には活用しました。某国・某々国の軍事技術者も頻繁に訪れてタネ探しをしていると云われています。

この種の回想談は、各人各様のモノが有る筈ですが、起源まで遡って知る人は、今では非常に少ないと思われます。ともあれ、世界屈指の電子王国が築かれた陰には、ラジオ・ストアやそれに類した小規模の部品屋さんが在ったことは歴史の一齣として止めたいものです。

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なお、ラジオ・ストアに出店していた業者の大半は、他の場所で営業を続けるか、通販に切り替えるそうですから、全く消え去るのではないそうです。
また、同様なな商業施設のラジオ・センターやラジオ・デパートは健在です。

                              <以上>

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