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2015年4月10日 (金)

No.128:旧いスタンプ帖から (9)

引き続いて九州・中国地方のスタンプを披露します。

「佐賀駅」
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"佐賀駅は"佐賀平野の中心地に位置します。その街および周辺地区には多くの史跡や郷土芸能が見られます。スタンプに示された佐賀城は、幾重にも外堀を巡らし、攻撃された時には主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていて、"沈み城"とも称されました。明治期の佐賀の乱で大半は焼失し、一部が残っているのみです。
上左のスタンプ内の人物は佐賀地域の民族芸能"面浮立"を表わしています。仮面を付け鉦や太鼓を打ち鳴らし、集団で踊ります。上右のスタンブ内の鳥は"カチガラス"と云い、佐賀県の県鳥です。この鳥はカササギの一種ですが、"カチカチ"と鳴きカラスに似ているので、佐賀ではカチガラスと呼んでいるそうです。

"大隈記念館"             「武雄温泉駅」
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"大隈記念館"は、早稲田大学の創始者・大隈重信の生家跡に造られました。大隈候は、幕末の志士・明治期の政治家として多くの業績が有ります。日本の貨幣単位"円"を定め、鉄道建設や郵便制度の推進に関与しました。理財や技術に明るい政治家でした。
幕末期の佐賀藩主・鍋島直正は、溶鉱炉を建て大砲などの武器を製造し、蒸気船を建造するなど、近代技術の導入を図りました。そのために優秀なテクノクラートが育ち明治政府に貢献しました。大隈候も砲術家に生まれ、若年時には技術分野の修行をしたと伝えられています。

"武雄温泉駅"は著名な武雄温泉の入り口に位置します。スタンプに示されているのは、武雄温泉のシンボルである"楼門"です。竜宮城を思わせる華麗な建物で、佐賀県・唐津の出身である建築家・辰野金吾博士の設計に依ります。辰野博士は、ほぼ同時期に東京駅を設計しました。
この楼門と東京駅は、著しい対象が見られます。楼門は木造日本建築、東京駅は赤煉瓦西洋建築、というわけです。
最近では、十二支をモチーフにした装飾のレリーフのうち、「子・卯・午・酉」が楼門に在る事が判り、東京駅の「丑・寅・辰・巳・未・申・戌・亥」と合わせて十二支が揃う事が話題になりました。永らく「行方不明の4干支」とされていたのですが、東京駅内ではなく、遥か離れた武雄に在った事が発見されたのです。なぜ、そうしたのか? 辰野博士の"遊び心"かも知れません。

「長崎駅」              "グラバー園"
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"長崎"は徳川幕府の鎖国政策の時代に唯一の海外に開かれた窓でした。そのために現在でも和・華・蘭 (わからん) と云われる独特の文化・風習が見られます。上左のスタンプ内の図には、中華から伝わった龍踊りと幕末の貿易商グラバーの邸宅、それに長崎港を隔てた地を示しています。
上右のスタンプ図には、"グラバー園"と大浦天主堂、対岸の造船所と稲佐山を表しています。

長崎は海外文化の受入れ口でしたから、海外の学術を求めて日本全国から好学の士が訪れました。幕末から維新にかけて活躍した人士は長崎に遊学した人士が少なく有りません。また、長崎在住の通辞(通訳)は堂々たる知識人でした。
長崎には日本初と云われる多くの事跡が残されています。


                      <以下次号>

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