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2015年8月11日 (火)

No.136:「クレオパトラとエジプト王妃展」を観てきました (2)

[ ハトシェブスト女王 ]  前1492-1458年頃

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ハトシェプスト女王は第18王朝時代のトトメス二世の王妃でしたが、王の没後、女王として君臨しました。
左図は王妃の時代の彫像と見られます。額にウェラス(聖蛇)が付いた長い髪の鬘を被っています。この像は王とペアの彫像であったのではないかと云われています。この像は米・ボストン美術館が収蔵しています。
右図は王に即位して男装した時代の姿で、顎鬚を付けています。この像はエジプト・カイロ博物館に展示されています。

Photo_2上図はエジプト観光コースの定番とされる"ハトプシュスト葬祭殿"の威容を示します。ルクソール西岸の"王家の谷"から、やや離れた地に在ります。老生は嘗て探訪しましたが、スケールの壮大に圧倒されました、そのデザインは今日でも通用しそうな感じがします。
この中の無数の壁画は女王の偉業を誇示していますが、その特徴は、近隣諸国との貿易を記録していることです。歴代のファラオが多くは戦闘の様相を描いているのに比して、著しい対照を見せています。
なお、女王の義理の息子であるトトメス三世は、義母である女王の存在を抹殺しようとして、壁画や像の類を消去・破壊しました。
それでも、相当数の遺物・遺跡は残り、ハトシェプスト女王の名と事跡は、今日に至っています。

[王妃ティイ] 前1388-1350年頃(アメンヘテプ三世治世時)

B33アメンヘテプ三世の王妃で、王を援けて王権の伸張を図ろうとしました。当時のエジプトはアメン神などを崇める多神教でしたが、神官の勢力が強くなり、王権をもっても威令が行われ難くなっていました。
ティイは地方有力者の出自で王族の出ではありません。これは王が地方有力者と結んで、神官たちに対抗しょうとした政略結婚だったようです。
王は具体策を実行する前に世を去りましたが、ティイは後継者のアメンヘテプ四世にネフェルティティを王妃として配して、後事を託しました。

上図のレリーフは、ベルギー・ブリッセル王立歴史美術館に収蔵されているものです。このレリーフは種々の経緯を経てベルギーに伝わったのですが、何処で発掘されたのか、どのような環境であったかは、不明で謎とされていました。それを早稲田大学の調査隊が2013年に解明しました。

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その場所はテーベ西岸のアル・コーカ地区に在るウセルハトの墓の前室奥壁でした。ウセルハトは王妃の家令を務めた高官でした。図の右側にティイのレリーフが施され、左側にアメンヘテプ四世のレリーフが在ったと想定されます。上図がそれです。 永年の謎が遂に解かれたわけです。

              <以下次号>

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