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2015年8月19日 (水)

No.137:「クレオパトラとエジプトの王妃展」を観て来ました (3)

[王妃ネテルトイティ]    前1351-1334年頃
                              (アクエンアテン王治世時)
File_11d
アメンヘテプ四世の王妃として王の宗教改革を支えました。
王は当時の神官の横暴を抑えるために、それまでの多神教に代り、太陽神アテンを唯一神とする一神教を推進しました。
王は、アクエンアテンと改名し、アマナルに遷都して改革を断行しました。
王妃ネテルトイティは"美女、来たれり"と称された絶世の美人で、クレオパトラ・ネフェルタリ (ラムセス二世の王妃) と共にエジプトの3大美女と称せられています。
図は独ベルリン・エジプト博物館の収蔵品で、今回の展示では"王妃の頭部"と名付けられていますが、王妃ネフェルトイティであると云われています。
なお、今回は展示されませんでしたが、"ネフェルトイティの頭部像"が存在しています。現代人とも見まがうほどの:容貌で驚かされます。(老生は嘗て見る機会が有りました。)

[王妃イシェスネフェルト]    前1279-1213年頃 
                 (ラムセス二世治世時)
File_22l_3
大王と称えられたラムセス二世の治世前半の正妃で"偉大なる王の妻 "の称号を持ちました。
王はアブシンベル大神殿を建て、子福者であり、且つ長命でした。
王には多くの妻妾がいましたが、前記の称号を得たのは、他にネフェルトイリが居ただけですから、如何に王の寵愛を得たかが察知できます。
この像はベルギー・ブリッセル王立美術歴史博物館に収蔵されています。


[アメン神妻のスフィンクス] 前690-656年頃
           (タカハル王~プサメシコス一世治世時)

File_11aシェプエンウペト二世はビテイ王の娘で、30年以上にわたりアメン神妻を務めました。
アメン神妻とは、王族の女性が継承する神官の称号で、高い権威と政治的影響力を持ちました。
その姿をスフィンクス像としてあらわしたもので、独・ベルリン・エジプト博物館が所有しています。

[王妃のマスク]               [乳母の木棺]
(前1550-1292年頃)        (前690-664年頃)

B11 File_22o_2  

左図はミイラの頭部を飾っていたマスクで、布と漆喰を重ねて固め彩色を施しました。頭部などの草食から王妃のマスクと推定されています。英・マンチェスター博物館の所蔵です。

右図はタカハル王の娘アメンイルデスの乳母、チェストラペルトの木棺です。エジプトでは乳母の地位は高く、王家の谷に葬られた例もあるそうです。この木棺もその近くのテーベ西岸で発見されました。伊・フィレンツェ博物館の収蔵品です。

[たまの玄太のあとがき]
この小文を纏めるに際し、次の資料などを参照しました。
1. 国立博物館の配布資料・ホームページ。
2. NHKテレビ「愛と野望の女王たち」
3. 早大・近藤二郎教授の講演およびネット資料。

                                  <以上>

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