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2016年1月15日 (金)

No、142:海賊版秘話:忘れ去られる戦中・戦後史の一断面(3)

海賊版理工学書が盛んであった時期に、問題視する論調が現れた事があります。某大学の法学部教授ですが、「著作権法に触れる行為であり、国際的にも恥ずかしい」と新聞に書きました。さらに「それらの書物は、入手困難な稀少本ではなく市販本として容易に買えるモノではないか」とも記したので、理工系の人々から猛反発が起きました。

確かに、前半は正論で反論はできませんが、後半は論者の無知・無理解を露呈したからです。理工系専門書は文系学者が重視する古典的名著とは全く性質が違います。日々進化する最新・最高の知識が詰め込まれているモノで一刻を争って入手・読破し、実務に応用したいのです。その上、価格については前記したように企業でも買い難いほど高価でした。

この先生の記事については、幸いと云うべきか追従者は現れなかったようです。いわば黙認という形で社会が許容したのでしょう。海外の出版社からも厳しい対応は殆んど無かったようです。
海賊版を読破した上で独自の研鑽を重ね、大成し業績を挙げた研究者・技術者は数多くいます。また、それらの人々が勤務した企業も世界に覇を唱えるまでに至りました。

このような時期から数十年を経て、今度は日本人が著した理工学書の海賊版が某国・某々国に氾濫したようです。これらの国々は今や新興工業国として日本の地位を脅かす存在になっています。まことに「歴史は繰り返す」の感を深くします。

「編者の蛇足」

著作権に関る対応は文芸系と理工系ではかなり異なると愚考します。文芸作家は作品を雑誌や単行本の形で発表して原稿料や印税を得て生活の資とします。これに対し理工系の研究者・技術者は成果を学術論文として専門誌に発表する時には掲載料を払うのが普通です。また、教科書や専門書を著しても、その原稿料や印税は微々たるものです。

数量的にも文芸書は初版数万部で、再版を重ねれば、その印税収入は多額に上ります。これに対して理工系専門書は初版1000部ぐらいで再販は殆んど有りません。教科書的な基礎の書物は再販を重ねることもありますが、それとても印税収入は文芸書に比すれば2桁以上も少ない筈です。

また、別の観点からすると、理工系分野の知的所有権としては「特許権」が厳存します。これについては日本企業は正規に契約を結び特許料を支払いました。ところが、とかく話題になる某国・某々国の場合には、かなり怪しいケースがあるとの噂がしきりです。

昨年、逝去された作家・野坂昭如氏の作品に「好色の魂」というのが有ります。この作品の主人公は「好色出版の帝王」といわれた男です。戦前の日本ではポルノ出版は厳禁されていたのでが、その法の目をかいくぐって、各国から著名なポルノ出版物を手に入れ、翻訳し出版(むろん秘密裏に)した闇の世界の著名人でした。
この男の独特の海外ルートが、図らずも戦時下において役立ち、中立国経由などの手段で海外技術書が細々と入って来たそうです。これを複写・製本するのはポルノ出版で経験済みでしたから、難なく処理した大量に軍関係の研究機関などに納入しました。戦前はポルノの秘密出版で取締当局と渡り合った男が、一転して時の軍部にとっての貴重な情報ルートになったのは皮肉な話です。

この話は文庫版200頁ほどの作品の終りの数頁に記されています。作品の全体の流れからすれば微々たる記述ですから、殆んどの読者は読み流したと思われます。しかし、老生からすれば抹殺されがちな戦時秘話が、このような文芸作品に残されている事は有意義だと思います。小説ではありますが、その内容の信憑性は高い、と考えられます。

「海賊版専門書」という一事例からも、戦時という超非常時・狂気の時代の一端を察知できます。その事跡は埋没すべきではないと愚考します。  <以上>

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