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2016年2月12日 (金)

No.144:デッド・コピー物語:キャッチ・アップの時代 (2)

「通信用測定器の国産化」

無線通信機などの電子機器を設計・生産する際には測定器(計測器)は必須の設備です。例えば、受信機がどのくらい弱い電波を受信できるか?送信機の発生する電波の質は所定の質を実現しているか?などを検査しなければなりません。電気・電波・電子は見ることも触ることもできませんから、専用の計器を介して確認するのです。

ところが、通信用測定器は高度の技術を必要とする上に、多品種・少量生産で陳腐化が速いという宿命があります。それ故に昭和初期には殆んど海外製品に依存していました。太平洋戦争中には、戦前に輸入した海外製品を模倣して国産化を図りました。

1959_mo351_c 1953年にテレビ放送が始まり、メーカーはテレビ受像機の生産に乗り出しました。それは在来のラジオ受信機の生産に比して質・量ともに飛躍した事業規模でした。それに対応して新しい測定器が大量に必要となりました。当初は輸入した測定器を整備しましたが、外貨割当の制約もあって国産化が推進されました。

その時に採られた手法は、デッド・コピーと云っても過言ではありません。米国のゼネラル・ラジオ社、ヒューレット・パッカード社、ブントン・メージヤメント社、テクトロニクス社、それに英国のマルコニー・インストルメンンツ社などの製品がモデルとされました。

老生の記憶では、テクトロニクス社の"シンクロスコープ"は在来の国産オシロスコープを遥かに超える高性能機として賞用されましたが、数社が国産化しました。上図はY-電機の製品です。
最も成功したのは I-通信機で大量に供給しました。他のメーカーは比較的少量の生産に止まったようです。

ブントン社の"Q メーター" という測定器は世界的に広く使われた測定器で、M-電波、YG-電機などが国産化して、相応の販路を得たようです。この機器は、既存の技術プラス・アルファで比較的容易に生産できたようです。下左図は原型、下右図はYG-電機製品です。
Boonton_260a_qmeter_2  Syoumen_2

マルコニー社の"FM/AM信号発生器"は特徴のあるマシンでした。それは在来の機器は、低い周波数帯でFM波を発生させ、それを逓倍して所要の超短波を得るという手法でしたから、複雑な上にスプリアス(不要波)を随伴する問題がありました。

Tf1066_b_3 1960_ma236_2

マルコニー社は直接に超短波を発生させ、それにFM変調をかけるという画期的な手法を採りました。しかし、そのためには特殊なフェライト・リアクタを使うので、国産化にあたって苦労したようです。 上左図は原型、上右図はY-電機の製品です。他にA-電気なども国産化しました。 

以上、老生が記憶し且つ資料の残存していた機材について略述しましたが、他に幾つも存在していた筈です。
蛇足を云うと、これらのコピーは、前回に記したような公認の官民プロジェクトでは無く、個々の企業が自前で行いました。スタッフ・予算・期間ともに制約の有る中での作業ですから、その出来栄えは、千差万別で原型に近い性能の製品から、形だけは真似たものの不十分な性能に止まったモノまで有ったようです。
また、前回の無線機は完全な互換性を要求されましたが、測定器の場合は性能・機能を追究しましたが、外観・構造については制約は有りませんでした。

なお、ここで採り上げた通信用測定器は特に高周波帯の機材についてです。有線通信を対象とした低周波数帯の測定器は1940年頃には、殆んど国産化していました。また電力用の電力計・電圧計・電流計の類は、それ以前から国産化していました。        

                <以下次号>

  

                     

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