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2016年3月11日 (金)

No.147:デッド・コピー物語:キャッチ・アッブの時代 (5)

「壮大な技術移転:戦艦"金剛"の建造」

70数年前の太平洋戦争で、最も活躍した帝国海軍の艦は戦艦「金剛」であったと戦記は語ります。
「金剛」は1911年計画され、英国に発注されました。1905年の日本海海戦では英国製の軍艦で戦ったのですが、その後日本の造艦技術は急速に進歩しは戦艦を自力で建造できるまでになっていましたが、最新・最強の艦を造るために永年の実績を持つ英国に依頼する、との方針を採りました。

日本海軍は英国ヴィッカース社に発注することにし、以下のような契約を交わしました。
「日本海軍の造艦・造機・造兵の技術者を派遣し、工事の監督・調査を行う。」
「砲塔・船体・機関などの図面を日本は入手し、同型艦を日本国内で建造する。」
この契約に基づき、多数の技術士官や海軍工廠・神戸川崎造船所・三菱重工長崎造船所の工員が長期にわたり滞在して、技術の習得に努めました。
これは、かなり異例の事だったと思われます。

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どこの国でも、軍備は国家秘密であり、メーカーも独自の企業秘密を持ちます。その中でも、戦艦は国力の象徴として各国から注目される装備ですから、内部の詳細を公表することは有りません。
それでも英国は日本に対してオープンな姿勢を示したのです。この時期には日英同盟が存在し、一方で欧州の国際関係は険悪な様相を呈していたからでしょう。

また、このプロジェクトについて日本は発注する側であり、且つ日本海海戦の完全勝利という実績が有りましたから、英国海軍としては日本海軍の持つ戦訓を採り入れて技術開発を行い、自国の艦艇を強化したいという意図も有ったと推測もできます。換言すれば、両国とも Win-Win を期待したのではないでしょうか。

このプロジェクトは共同開発的なニュアンスであったと、老生は推察します。従って、純デッド・コピーでは有りませんが、日本の造船所で後続の同型艦を建造する際にはヴィッカース社の図面に依り、技術者・工員は同社で研修したのですから、準デッド・コピーと云う位置づけでしょうか。ただし、艦内の電気艤装設備に関しては、それまでの日本艦艇に飛躍的な進歩をもたらしたそうです。

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同型艦として"比叡" "榛名" "霧島" が国内で建造され、後の太平洋戦争では、最も稼働率の高い艦としてあらゆる戦闘に参加しました。このシリーズの後に "伊勢" "日向" "扶桑" "山城""陸奥" "長門" "武蔵" "大和" などの巨艦・超巨艦が純国産技術で建造されましたが、太平洋戦争においては戦闘様式が大幅に変り、かねて想定していた艦隊決戦の機会は殆んど有りませんでした。最も艦齢の古い"金剛"型のみが高速を利して、各地に転戦しました。

敗戦後、軍備は撤廃されましたが、造船技術は残り、やがて世界トップ級の造船王国に成長しましたが、その淵源は金剛の建造に関る技術移転策に遡るのではないかと愚考します。

「たまの玄太の蛇足」

以上、幾つかの分野について、日本の技術陣が先進国に"追い付き、追い越す"過程の一断面を記してみました。
巷間、「日本人は物真似は得意だが独創性に乏しい」と云う人を散見します。文系の擬似知識人に多いようですが、時には理系人にも現われます。

しかしながら、"凡人は模倣し、達人は盗む"と云うコトバが有ります。これは、コピーするにも、"原理や設計思想を確実に把握せよ"という意味でしょう。これを忠実に行えば原型を超える境地に達することも出来ると理解できます。開拓期の先人たちは、その努力を積み重ね、戦後の技術大国の礎を築いたのだと愚考します。
                                  <以上>

                    
                    

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コメント

はじめまして。
複同調について検索していたおり、このブログの手描きの特性曲線の記事に行き着き、以来少しずつですが興味深く拝見させていただいております。

学生時代はもともと物理を志していましたが、電磁気学と電子工学に魅せられて、今では生業としてしまいました。(未だ下っ端ですが……)

職についてからあらためて電磁気学と向き合ってきて感じるのは、マクスウェル方程式の発表により19世紀後半に古典電磁気学の基礎が完成した後、20世紀に入ってからの電磁気学の応用と電子工学の発達の歴史がまとめられている文献がなかなか見当たらないことです。
とりわけ日本国内では、かつて電子立国と持て囃されたとされているわりに、戦前から戦後にかけての電磁気学、電子工学の発展と普及の過程について詳細に述べられたものは皆無に思えます。
その中で、先生の書かれた記事の内容は個人的興味としても、また電子技術産業の片隅で生きる社会人としても、非常に勉強になります。

日本という国の特質なのか、この国で科学について語られる際、可視化しやすい力学や様々な形で爪痕を残し続けている原子力については頻繁に議論されますが、電磁気学を取り上げる頻度はそう多く無いように感じられて仕方ありません。確かに電磁気学を理解するにはある程度高度な数学能力が要求されますが、今や私達の生活に電磁気学は欠かせない学問です。少しでも多くの人に、それを実感して欲しいと願ってやみません。

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