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2016年5月30日 (月)

No.150:法律は常に後追いか?

先頃、女子大生タレントがストーカーに襲われるという痛ましい事件が有りました。この事件について警察の対応に批判が寄せられましたが、それと関連して法規の不備への指摘が有りました。
それによると「ストーカー規制法」では「電話・ファックス・メール」による執拗な付き纏いは規制の対象と明記してあるが「SNS」については記載が無いとの事です。従って「SNS」は規制の対象外であり、警察も本気で対応しないのではないか、という指摘です。

老生の記憶では、数年前にもストーカー殺人事件が有り、その時点の法規では「電話・ファックス」のみが対象で「メール」が欠落していました。この事件後に「メール」が追加されたのですが、「SNS」の記載は無かったのです。
情報通信の技法・手段は日進月歩です。専門家でさえも将来の的確な予測は困難です。それですから、全ての技法を予測して法規に盛り込むのは不可能でしょう。しかしながら「その他の情報通信手段」という記載が有ったならば、今回の事件(相談) へ本気で対応が出来たものと思われます。

こう云うと、そのような規定の仕方では恣意的な拡大解釈の危険がある、との反論が出るのでしょう。また、法規の作成に当たっては、既存の法規との整合性が重要であるとの意見も予想されます。しかしながら、法曹関係者の中での論理であって、一般市民社会では通用し難いのではないでしょうか?

以前に、飲酒運転による交通事故が多発した時、適用する法規が「業務上過失・・・・」しかなく、被害者死亡という場合ですら、数年の懲役という軽い刑罰しかなかった事例が続発しました。その後に世論に押されてか、数年を経て「危険運転・・・・」なる法律が出来ました。ところが今度はその立証の要件が厳し過ぎて適用が困難である上に、加害者が法の裏をかくような行動に出た事例も起こりました。

この二例を見ても、如何に法曹分野の考えが時勢から乖離しているかが判ります。老生は知人の法学部教授や弁護士などの法曹関係者に、疑問を呈しました。教授は「法の精神」とか称する法理論を持ち出して説明して呉れましたが、納得できる話では有りませんでした。「素人が何を勝手な事を云うか」という態度が見え見えでした。一方、弁護士は「要するに法規でそう決まっているのだ、我々は、その範囲で被告に有利なよう智恵を絞るのだ。法に不備があるというならば、それは立法者の責任だ」と云うだけでした。

老生は、この分野に関しては全くの門外漢です。しかしながら、変化の激しい現代・近未来の世相の動きに対して、余りにも硬直した態度・姿勢ではないでしょうか?
嘗て東京帝国大学法学部のの長老教授は新入生への講義に際し、開口一番「法律というものは、それまでの社会常識の集大成である」と説いたそうです。日本の法曹界の先駆者は法律の持つ本質的な限界を指摘して、後進を戒めたのではないかと、老生は忖度します。

別の話題として、法科大学院の不振が挙げられます。高度の教養と広い市民感覚を持つ法曹人を養成し、且つ難関とされる司法試験で7~8割の合格率を期待するとの触れ込みで創設された筈ですが、その実績は惨憺たるものでした。司法試験の合格率は2割前後に止まり、しかも司法試験の受験は2回までの制限が有るので、「法務博士」の肩書きを持つ失業者を量産しています。
創設時には、それなりの理念や方針が有ったのでしょうが、実務世界についての見通しが甘かったという事でしょう。司法試験は最難関といわれ、合格者は、中・東・早・慶 の出身者に集中していました。他に少数の合格者を出す10 校ていどが存在したに過ぎません。換言すれば、開学以来、一人も合格者の出ない大学が数多く有るのです。それだのに、70 校もの法科大学院を乱立させたのですから、不合格者が続出するのは当然です。

この制度の方向づけは法曹界が行い、細部の制度設計は文部科学省が行ったものと思われます。エリート・コースに乗った秀才方が立案・制定したのでしょうが、老生のような門外漢から見ても、無謀な企てと危惧されました。
果せるかな、発足して数年で早くも破綻しました。しかも、これほど杜撰な施策に誰も責任を取らぬようです。刑事事件や汚職事件などで秋霜烈日の論告を行う人々も、詭弁に近い正義の論とやらを吐く方々も黙して語ろうとしません。

ついでに云うと、法科大学院の卒業者は「法務博士」の学位?を与えられるそうです。これなどは詐称に近いとさえ感じます。一般に大学学部卒業後に大学院で2~3年の研鑽を経て論文を提出し合格した者に与えられるのは「修士」の学位です。大学院博士課程で5年以上の研鑽を経て論文を提出し合格した者に与えられるのは「博士」の学位です。この博士号を得るのは難しく、課程終了後10年ぐらいを経てもらう例は少なくないのです。それに対して2~3年の研鑽だけで論文も無しに「博士」というのは安売りではないでしょうか?
業界事情に詳しい人は「法学博士」と「法務博士」との間には天地の差がある事は承知しています。しかし、その区別を知らぬ市民に対して「法務博士」の肩書きを悪用した詐欺事件などが起こらねば良いのだがと老生は危惧します。
                     <以上>


                   

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