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2016年7月15日 (金)

No152: 「大学生の書く力」を読んで

7月8日の読売新聞は「大学の実力」という特集欄で「大学生の書く力」について詳述していました。それによると、大学側は「報告書も書けない学生を社会に送り出せない」という建前と、「小学生レベルの文章」しか書けないと学生が少なくないという現実を如何に埋めるかについて、関係者は対策に苦慮しているとの事です。

その記事で老生の眼を引いたのは、「書かせる工学部」という文字でした。工学・理学などの理系学部は文章を書かせるのに対し、法・経済などの社会科学系学部はそれが弱い、と指摘していました。
この一節を読んだ人々は、どう感じたのでしょうか? 老生が妄想を逞しゅうするならば、理系人は「当たり前のことだ、何を今さら・・・」と感じ、文系人は「へーえ、そんなものか、全く知らなかったな」と受け取ったのではないでしょうか?

理系学部の学生は、実験レポート・卒業論文・研究発表などで数多くの報告書・論文を書かされます。ここで云う報告書・論文には厳しい制約があって、文章の起承転結・用語の厳正な使用・論理の整合性などが厳しく要求され、その内容については独創性・有用性も求められます。
一方、社会科学系学部では、頻繁にレポートを書かされる事も無く、卒業論文も課せられていない学部も少なくないようです。従って小学生レベルの作文力のままで社会に出る人がいます。それですから、卒業時に於ける平均的な文章能力は理系人の方が高いと云って良いでしょう。

さらに実社会 (企業など) に出てからも、理系人は企画書・提案書・報告書・特許文書などを書き、設計資料を纏めるなどの業務が多々有ります。これを研究開発・試作実験などの実務作業と併行して行うのです。
一方、文系人は一握りの経営・管理に関る人々、または文筆を業とする人を除いては、業務としてとして高度・精細な文書を書く機会は少ないようです。(定型的な業務日報・営業報告書にどは書きますが、所定項目に数値を入れる程度の単純作業が多いようです。)

上記に関連して、日本語ワープロの出現当時の事情を想起してみます。
1900年代の末に登場した日本語ワープロは日本の社会・文化に大変革を齎した画期的な発明ですが、出現当時は、文系知識人からは悪罵・酷評を受けました。彼等は現物を見ることも、試用することもせずに「日本語・日本文化に対する冒涜である」との大時代な科白を吐きました。
次の段階では「かな・漢字変換」がデタラメであると云い某批評家は「新人類技術者の無学ぶり」を嘲笑しました。

しかし、実態を云うならば、日本語ワープロの開発時には、各企業の研究者は大学などの国語・言語・文法などの研究者に指導を求め意見を仰ごうとしたのです。ところが、殆んど協力は得られず、止む無く、電気・情報の研究者・技術者は独学でワード・プロセッサーに適用できる文法を編み出したのです。その新文法は既存の文法体系に比すれば未熟であり、それを組み込んだ日本語ワープロの「かな・漢字変換」が不完全であったのは事実です。

それでも、ビジネスの現場では、それまでの和文タイプライターに比すれば、格段に進歩した使い易い機器でした。習熟は短時間で済み、訂正は容易であり、多部数の印刷が可能、原稿の記録保存などのメリットが有りました。文筆家側が非難した変換ミスにしても、操作の反復を行って比較的短時間で所要の漢字変換が出来ました。

換言すれば、文系人の反発や非難を尻目に、実務の世界では急速に採り入れていったのです。これに呼応した技術者側は、研究途上の人工知能の技法を導入し、使い勝手を急速に向上させました。往時の記憶を呼び覚ますと「キシャのキシャがキシャでキシャした」との入力を「貴社の記者が汽車で帰社した」と一度に変換出来るか否かが争われた事がありました。
この変換が出来るか否かは、一つの尺度に過ぎません。ある製品は上の例文だけは上手く変換できたが、他の長文では不適切な変換をしたとの裏話も有りました。逆に、ある例文では不調であったが、他の実用文の変換は殆んどクリアした製品も有りました。

このような紆余曲折を重ねながらも、ワード・プロセッサーの実用性は日進月歩であって、2000年代になってからは、家庭においても必須アイテムとして定着したのです。
出現当時、論難し揶揄し悪罵を放った人々も、この実績に対しては沈黙したようです。それどころか、今では、原稿書きにはワードブロを使い、ネットを介して出版社に送り、稿料は銀行振込みで受け取っている筈です。今でも手書き原稿に固執するセンセイがいると伝え聞きますが、出版社の手に渡ってからは、電子的処理を介して印刷・製本・出版・流通・印税支払というプロセスを拒否することは出来ない筈です。

日本語ワープロは一例ですが、先端技術の成果は経済・社会から文化に至るまで大きな変革を齎します。その原動力は研究者・開発者の着想・執念・努力です。この事実を文系知識人の諸氏にも認識して戴きたいと老生は思います。
                      <以上>

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