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2016年12月30日 (金)

No.161: 理系人の世界を活写した吉村昭の作品 (3)

「白い航跡」 

Photo_2 これは、明治中期の日本陸海軍に蔓延した脚気病を根絶すべく実践的研究を重ね、遂に解決策を見出し、後のビタミンB発見の端緒を開いた海軍軍医の苦闘の物語を記した作品です。

明治開国以後、政府は近代化を推進し、富国強兵の旗印の下に徴兵制を敷き、軍の整備に努めました。
ところが、軍首脳を悩ませる事態が発生しました。それは兵士に脚気病患者が多発したことです。これは戦力の低下に直結しますから、一大事で早急な解決が望まれました

ところが、この病気は欧米では殆んど見られず、従って治療法も有りませんでした。欧米人医師は東洋の風土病と見做したようですが、積極的に解明しようとはしなかったようです。

日本では江戸時代から目立ち始めたとされています。地方から出稼ぎに来た人々に頻発したのです。それらの人々が故郷に戻ると回復する事が多いので"江戸患い"と云われたそうです。始めの頃は、飲料水や空気の故とされていました。後には食生活の差(江戸では白米、地方では雑穀)に基づく贅沢病とも云われました。

時の海軍軍医総監・高木兼寛は、多くのデーターを精査して、次の現象を見出しました。

1. 遠洋航海において、停泊地では発症せず、長期の航海で発生する事。
2. 士官は殆んど発症せず、兵士に患者の多い事。

このデーターから高木は、含水炭素(糖質)の過剰摂取・蛋白質の欠乏、との仮説を得ました。換言すれば和食から洋食への転換が必要であるとの結論でした。
高木は脚気患者に対しての病院食の改善を試行して予期どおりの成果を得ました。
しかし、これを実施するには難関が有りました。その一は予算の制約です、その二は兵士の反発です。現代からは想像し難いのですが、当時は米を作っている農家でも米飯を食するのは年に数回しかなかったのです。それほど貴重な食物でした。毎日、白い米の飯を腹一杯支給される軍隊は彼らにとっては夢のような世界でした。それですから、白米食を減らすという企ては難航しました。

ここに至って高木は軍艦「筑波」による長期間の遠洋航海という破天荒な計画を立てました。それは嘗て脚気死亡者を23名も出した軍艦「龍じょう」の航海と同一コースを食事を替えて再現しようとするものでした。その経費は5万円と見積もられ、全海軍の年予算300万円に比して少なからざる額でした。高木は強い信念で周囲を説得し、その実証実験を施行しました。

その結果は極めて良好で287日に及ぶ航海で、死者はゼロ,軽症患者数名も軽微で直ぐに回復しました。この結果に基づき海軍は食事を大幅に改善し、以後は脚気患者の多発による戦力低下の懸念は払拭されました。
当時ビタミンBは発見されていませんでした。1910年に鈴木梅太郎博士が米糠から脚気に有効な物質を抽出して"オリザニン"と命名したのが嚆矢とされています。高木は純粋な物質として示したわけでは有りませんが、それを含む食料による脚気対策を確立したわけです。

海軍の兵食の改善の効果は絶大で、日露戦争(1904-5)に於いて脚気による死亡者はゼロでした。一方、陸軍はドイツで細菌学の権威ローベルト・コッホに師事した軍医総監森林太郎が未知の細菌説に固執したために、兵食の見直しは行われず、多大の戦病死者を出しました。

この作品で吉村昭は、高木の生い立ちから英国留学を経て海軍軍医のトップに立ち、壮大な実証実験を敢行して、遂に脚気を根絶した苦闘を詳細に活写しています。
高木は後に慈恵医大の創設に関り、また看護婦の養成に勤めるなど医学界に多大の貢献をしました。

なお、蛇足を加えると、世界的にはビタミンBの発見および命名はカシミール・フンクとされています(1912年)。これは鈴木博士が日本語で発表し、ドイツ語への翻訳が遅れたためとされています。また、高木はビタミンBという純粋な形では有りませんが、それを含む食生活によって脚気を根絶したわけです。実質的にはビタミンB発見の先駆者と言えるでしょう。
                    <以下次号>

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