無料ブログはココログ

« No.164 : 理系の世界を活写した吉村 昭の作品 (6) | トップページ | No.166 : 夏目漱石の理的センス »

2017年2月14日 (火)

No.165 : 理系人の世界を活写した吉村 昭の作品 (7)

「光る壁画」

Photo_2  この作品は世界初の"胃カメラ"の開発に関わる物語です。生きている人体の内臓器官の中を視認したいという願望は、医術の発祥以来の夢でした。
海外において1800年代に直腸・尿道などを観察する内視鏡が試行され、1932年にはドイツのルドルフ・シンドラーが胃の観察に成功しました。これは多くの鏡を用いた光学システムでした。
しかしながら、臨床の場で医師が手軽に扱えるような機器ではありませんでした。

今日、広く用いられる胃カメラの原型を開発したのは日本人、東大病院の若い医師・宇治達郎とオリンバス光学の技師・杉浦睦夫らです。彼等は数年に及ぶ研究開発の結果、1950年に「腹腔内臓器撮影用写真機」として特許申請し、認められました。
両氏の発想は、可撓性を有する管の先端に超小型のカメラと照明装置を装着し、咽喉・食道を経て胃の中に送り込み、患部を撮影しようとする器具の開発でした。

2 左図はその概念図です。この開発の最大の難関は、各パーツの超小型化でした。咽喉を介して挿入できる可撓管の直径は十数ミリに過ぎません。その中に所要の機材を収納しようとするのですから、容易なことでは有りません。
当時、一般のカメラ・フィルム・ランプなどの技術レベルはトップ・レベルに迫っていましたが、サイズを一桁小さくするには、それなりの技術革新が求められました。
一般にある工業製品のサイズを一桁小さくする、或いは大きくする為には、時にはシステム原理・設計フィロソフィまで遡っての検討が必要とされます。

宇治氏は医師としての立場から、所要の機能や使い勝手を検討し、杉浦氏は技師としての基本設計と、それに対応するメカニズムの実現に努めたのです。彼らの努力は数年後に実り、世界初の胃カメラが完成しました。
それまでは、外部から視認できなかった生体の胃の患部を鮮明な画像として記録できるのですから、画期的な技術開発でした。
そこに至るまでに幾多の困難が有りました。技術的な難題は当然ですが、組織内の要人を説得し賛意を取り付けると云う問題も有った筈です。
その全プロセスを吉村作品は克明に活写しています。

{ たまの玄太からの蛇足 }

胃カメラの成功により、診断と治療の技法は飛躍的に進歩しました。多くの胃がん患者が救われただけでなく、他の器官を対象とする内視鏡が続々と開発されて、その分野の診断・治療に貢献しました。
また、胃カメラそのものも、光ファイバーや半導体素子の進歩、映像処理技術の発展、を採り入れて、より使い勝手の良い製品が実用化されています。
約70年も前に、若い医師の発想と気鋭の技師の努力が実を結んだ快挙と云うべきです。

吉村昭は、この他に「神の汚れた手」で心臓移植に関った心臓外科医の研究経過を紹介し、「高熱隧道」では黒部ダムの建設の苦闘を物語っています。
重複しますが、吉村昭はこれまでの作家が殆んど採り上げなかった理系人の研究・開発・建設に関わる実録を調査し、小説の形で世に問いました。当事者が深く感じながらも、コトバや文章で表現しなかった心情に立ち入り、当事者に代って広く世に広めたのは大いなる功績だと、老生は想います。
なお、氏は「桜田門外の変」「生麦事件」「天狗騒乱」「長英逃亡」などの幕末史に関る作品も多数残しています。

                 <以上>

« No.164 : 理系の世界を活写した吉村 昭の作品 (6) | トップページ | No.166 : 夏目漱石の理的センス »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/575020/64892168

この記事へのトラックバック一覧です: No.165 : 理系人の世界を活写した吉村 昭の作品 (7):

« No.164 : 理系の世界を活写した吉村 昭の作品 (6) | トップページ | No.166 : 夏目漱石の理的センス »