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2018年12月17日 (月)

No.211 : 昭和一桁生まれが経験した配給生活 (3)

[ 酒類の配給について]
      酒類の配給統制は1941年から行われました。1世帯当たり1ヶ月に日本酒4合(720ml )、ビール2~4本、でした。別に冠婚葬祭の際には1升(1800ml) 、入営・出征の折には2升(3600ml) の特別配給が有りました。
   この量は酒飲み人種にとっては、甚だしく不足でした。しかし、世の中には酒を飲まぬ人や、毎晩は飲まぬ人も居りますし、また女世帯も有ります。それですから、近所の人と融通しあって、何とか間に合わせていたようです。
下図は、その折に使われた配給通帳です。
 
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  また、初期には飲食店には業務用の配給枠が有ったので、家庭用の配給では足りない人は、そちらで飲んでいました。とは云っても、店の方でも一人あたり幾らと制限を設けたました。その上、割高につきましたから愛飲家には辛かったようです。
 
  1944年には 「国民酒場」 という店が開業しました。これは準公営とも云えるシステムで、酒1本と肴1皿を提供しました。家庭用の配給とは別枠で価格も安いので人気が高く、開店前から長蛇の列が出来、警察が整理に当たるほどでした。
 
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  国民酒場については、下記のような思いで話があります。 老生の伯父は某名門校の教師でしたが、週1回の講義の帰途に老生宅に立ち寄り、老生の父と共に国民酒場の行列に並びました。この時、伯父は服装を簡素なモノに着換えて行きました。当時、中学生だった老生は不思議な感じがして母に理由を聞いたものでした。
すると母は、「相当の社会的立場にある者が、労務者風の人に交じって、ああいう処に並ぶのは、場違いと見られて難癖をつけられるかも知れない。それを避けようとした」 という意味の話をしました。
   当時の伯父の勤務校で教師は海軍士官に似た制服・制帽を着ていたのです, (軍人ではないから剣は吊っていません)。もし、この服装のままで行列に並ぶと他の多くの人
々から違和感を持たれたでしょう。
なお、この酒場では1杯飲んだ後で、再び行列の最後尾に並び、運が良ければ2杯目に ありつけたそうです。伯父と父は戻ってきた時に、「今日は2杯飲めた」 など云って上機嫌でした。
   このような話は、当時は至る処で在ったようです。「衣食足りて礼節を知る」 と云うコトバは周知ですが、戦時体制の配給下では、相当な地位の人士でも面子や体裁に拘っては居られない窮境を齎したと云えそうです。
 
{ 蛇足 }   戦中・戦後のアルコール飲料の不足は、別の社会危機を生じました。密造酒の氾濫です。元来、酒類の生産・販売は大蔵省 (今の財務省) により厳しく管理されていたのですが、それを無視した不法な密造酒が各処で造られました。安全も衛生も考慮しないノーラベルの製品が、怪しいルートを通じて、出回ったのです。
   中でも悲惨だったのは、工業用アルコールが混入されていた殺人酒でした。これを飲むと失明・落命の悲運に見舞われたのです。恐らく密造酒を造った人は薬用アルコールと工業用アルコールの区別を知らなかったのでしょう。
   このような話は、いわゆる戦中・戦後史には記載されていないように思われます。老生は未成年でしたが、身近に実感した事実なので、敢えて記しました。
              <以下次号>

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