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2018年12月 7日 (金)

No.209 :昭和一桁生まれが経験した配給生活 (1)

  老生は1929年生まれ、いわゆる昭和一桁です。老生が小学2年生の時に日中戦争が起こりました、,1937年の事です。6年生の時には大東亜戦争が勃発しました、1941年の事です。その頃、小学校は国民学校と名称が変わり戦時体制は強化されていました。
  1945年には、敗戦・降伏に至り一応は平和な時代に戻りました、この時に老生は旧制中学の4年生でした。つまり、老生は7~16歳に至る10年間は戦時体制にドップリ浸かった生活を送ったのです。
     この年齢層は成年には未だ遠いのですが、大人社会の一端をかなり知るのみならず、ある程度の批判的な見方も出来るようになるものです。 
   この小文は、当時の市民生活に深く関わった生活財の配給・切符制度について、老生の経験を中心に記します。
 
[ 米穀の配給について ]
     戦時体制が進むと、食料事情は次第に窮屈になりました。健康な若者は兵士として徴集されますから、農林・水産の場での労働力は不足して生産量は低下します。その上、交通・輸送は軍用を優先するために食糧の地域的な偏在が生じます。
Photo  政府は「食糧管理法」を定め、統制に着手しました。その手始めが "お米の配給"でした。年齢および職業 (労務の内容) に応じて1日の配給量が定められたのです。
  一般人(軽作業) の場合、1~5歳は120g、6歳~10歳は200g、11~60歳は330g、61歳~は300g、が1日の量でした。
  この実施に伴い、市民は戸惑いました。それは、量の表示です。当時は穀物の量は容積で扱い、尺貫法の表示でした。ところが、今回の配給制度では重量で扱い、メートル法の表示となりました。
    それまで、家庭でも米屋でも、石・斗・升・合という容積の単位で扱っていました。例えば、成人 (軽作業) は1日に3合を目安とし、軍隊などのハードワ-クな職場では1日に6合とされていました。さらに炭鉱労務者などの超重労働に携わる人は1升飯を平らげる、と云われていました。
  配給制度では、成人が330g と云われても、どれほどの
量であるのか、判らなかったのです。間もなく、2.3合に相当するとの解説が出ました。これは、米1俵 (4斗) の重さが約16貫とされていたので、それから換算すると、大略、妥当な値でした。
    当時、多くの家庭では容積を計る 「桝」 は持っていましたが、重さを計る 「秤」 は備えていませんでしたから、この換算値によって日々の炊事を処理しました。
       それよりも、問題は量の少なさでした。成人(軽作業) が1日に3合と云うのは、教科書・解説書・雑誌などを通じて常識化されていましたが、配給の330g (2.3合) というのは、その77% に過ぎません。
これでは、カロリー不足で体力を維持できない、と云う声は上がりましたが、政府は雑穀や大豆・芋などを混ぜて補え、と指示しました。当時の婦人雑誌には、その種の記事が多数記載されたものです。
  前頁に示したのは、配給に使われた 「米穀通帳」 の一例です。家族の氏名・性別・年齢などが記載され、一家の配給量が指定されていました。この通帳を持って指定の日に、米屋さんに行き、代金を払って配給を受け取りました。
   この制度が」始まってから、お米屋さんの態度が一変しました。俄に小役人的な言動を示すようになったのです。当時の社会は、幕藩体制における「士農工商」 の序列が払拭し切れていませんでした。役人・軍人・教員などが社会の上位に在り、小売商人などは下位と見る風習が残っていました。
  それが、配給制度の施行により小売商人である米屋が、政府組織の末端の末端の業務を受け持つようになって、準役人になったような気分になったのだと思われます。
( この話を大袈裟だと感じる方が居ると思われますが、老生は和服を商う呉服屋、すなわち小売商の息子でしたから、身に染みて感じています。)
   配給米には質の問題もありました。白米ではなく、七分搗き米でした。ビタミンBを失わないという理由でしたが、それよりも搗き減りを少なくして総量を確保するのが本音でした。また、国産米だけでは不足で、外米を輸入して混入していました。
      以上が米穀配給制度の概要ですが、問題を抱えつつ何とか運営出来たのは、制定後2~3年に過ぎませんでした。南方からの輸送航路が途絶え、空襲が始まると有名無実の制度と化してしまったのです。また、終戦後の数年間は一種の無政府状態に陥っていましたから事態は容易に好転しませんでした。1950年前後になって漸く戦前に近い状況に戻り、この制度も廃止されました。
なお、「米穀通帳」は移住などに関し、身分証明書のように流用された時期が有りました。
               <以下次号>

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