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2018年12月13日 (木)

No.210 : 昭和一桁生まれが経験した配給生活 (2)

[ 衣料切符制に関して ]
     戦時体制は、あらゆる日用品の不足を生じました。衣料品もその一つです。1942年から切符制が導入されました。この制度は、個々の衣料品に点数を定めると共に、個人が年間に使える点数を定めて、各人が1年間に購入できる衣料品の総量を制限するシステムでした。
   例えば、男子背広服は50点、婦人ワンピース15点、ワイシャツ12点、もんぺ10点、手袋5点、足袋2点、靴下1点、などでした。一方、与えられる切符は都市の成人は100点、農村の成人は80点でした。
Photo  左図は衣料切符の表紙の一例です。
  この制度は、戦前の衣料品需要の40% を目標に設定したそうですが、ずいぶん無理というか現実を無視した机上論だと思います。
  その理由は、衣料品は多種・多様であることです。素材にしても、綿・麻・絹・毛・化繊などが有り、その織り方や染色も多様です。加工では男性用・婦人用など、さらに上衣・下着などの区別が有ります。
しかも、個々のサイズ・体形・好みなども有ります。それですから、各種の衣料品の生産数と個々人が欲する衣料品の数量を一致させる事は極めて困難、と云うより不可能です。(コンピュータによるビッグ・データ処理ななどの技法は全く無かった時代です。いや、今でも難しいと思われます。)
  老生の経験では、1942年に旧制中学に入学した時には全員に制服が配布(有料)されました。この時は業者の手持ち材料が有ったらしく、切符を渡して全員が入手できました。ところが、冬が迫り外套が必要になった時には、生徒側には点数が有っても業者側には材料が回らず、抽選になりました。換言すれば、消費者が点数を持っていても、業者側には要求に応える資材が回らなかったのです。
   蛇足を加えます。軍隊では「服に体を合わせろ」と云うコトバが有りました。兵士の着る服は、大・中・小ぐらいのサイズしかなく、そのどれかを選んで着こなせ、と云うわけです。兵士として招集されるのは壮年男子であり、身体検査をパスした者たちだけでしたから、軍服を見込み生産して入隊した若者に配布できたのです。
   対象が老若男女の一般人の場合には、こうは行きません。このシステムはスタート時点で無理だったのです。それに戦局の急激な悪化により、空手形状態に陥りました。
 
      戦時体制において、一般人の服装が大きく様変わりしました。成年男子は軍服に似た「国民服」を、成年女子には活動しやい「もんぺ」の着用が推奨されました。
Kokuminfuku Photo_2 
 
  上左図は男子の「国民服」、上右図は婦人の「もんぺ」です。国民服は甲・乙の2種が有りました。
甲は襟が開いていて、ワイシャツ・ネクタイの着用が可能で、公的な行事・式典に出席する立場の人士が用いました。乙はいわゆる兵隊服と殆ど同じ型です。老生らが配給された旧制中学の制服は、これの類型でした。
  「もんぺ」は農山村婦人の日常着に近いデザインで、活動しやすいのを狙ったようです。頭に被ったのは「防空頭巾」と云われ、空襲に際し爆弾の破片などから頭部を護るためでした。なお、図では身元を示す左胸に名札を付けています。
   この「国民服」は1940年に法制化されましたが不評でした。特に甲は公的な会合などに参加するような人は既に数着以上の背広服を所有している筈で、わざわざ新調するのは無駄だと云われました。官公吏・校長・町村長・小企業主・街の顔役などの一部が調達したに留まったようです。
   一方、「もんぺ」の方はかなり広まりました。既に所有している和服を仕立て直して手作り出来たからです。当時の婦人雑誌には、それに関わる記事が多く載っていました。
      以上が衣類切符制度の概要です。米・砂糖・酒・煙草などの配給は、量の不足は有っても何とか機能し、戦況の悪化と共にジリ貧状態に陥り有名無実化したのに対し、衣料切符は初期から空手形状態でした。後年に社会主義国の計画経済が破綻したのと一脈通じるように思われます。
            <以下次号>

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