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2018年12月21日 (金)

No.212 :: 昭和一桁生まれの経験した配給生活 (4)

[ 煙草の配給について }
     煙草の配給制度が実施されたのは、1944年からとされています。戦争も末期的状況の頃でしたから、かなり遅かったように感じますが、ある博物館の資料では、そう記されています。ただし、それ以前から品不足は始まっていましたし、種類の整理は行われていました。
  1940年には、"ゴールデン・バット" が 「金鵄」 と名を変えました。英語の表記を嫌い、日本神話に由来する名称に変えたのでしょう。
Photo_8 Photo_11  
他にも、"チエリー" が 「さくら」 に、"カメリヤ" が 「椿」 に改名されました。 
  配給の量は成人が1日に6本でした。これではヘビー・スモーカーならずとも、甚だしく不足であったようです。ただし、成年男子は登録すれば配給されましたから、非喫煙者の配給分を回して貰って何とか凌いでいたそうです。
 
     戦況が厳しくなるにつれて、配給の量は次第に減らされて来ました。また、それと前後して巻煙草の形ではなく、その原料の形で配給されるようになりました。
Photo_12   左図はその例です。
"刻み煙草"と巻煙草を造るための "巻紙" を1組として配り、喫煙者は自ら 「巻煙草」 を造って喫煙せよ、と云うわけです。図の上は "刻み煙草" の包装、下左図は "巻紙", 下右図は巻煙草を造るための道具です。
   この作業は、不器用な人々には難行だったようです。終末期になると "巻紙" も不足してきたので、「コンサイス英和辞典」 などを解体して使う人もいました。また、"刻み煙草" に "トウモロコシの毛" や "イタドリ の葉" などを混ぜて増量を試みる人も現われました。
  喫煙しない人から見れば、何とも気の毒な、しかも馬鹿馬鹿しい行為ですが、軽症であってもニコチン中毒に陥っている人にとっては必死の想いであったようです。
前回にも触れた老生の伯父は、かなりのヘビー・スモーカーでしたので、辛かったようです。幸いにも老生の父は煙草を吸はない人でしたから、提供していました。
  煙草には多くの銘柄が有りました。戦時色の濃い品としては 「誉」 「鳳翼」 などが有り、その他にも軍用の専用品や、天皇陛下から下賜される特別の "恩賜の煙草" という品も有りました。特攻隊員が "恩賜の煙草" を吸って出撃するという歌も現われました。
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  老生は、当時10代半ばでしたから、父親世代が四苦八苦しているのを横目で見ているだけでしたが、早熟の生意気盛りの生徒の中には、周囲の目を避けて親の配給品を盗んで喫煙した体験を得々と吹聴する者もいました。

{ 老生の妄言 }
  配給と云う制度は、食糧・嗜好品の絶対量が不足したために施行されたのですから、もともと無理な話です。しかも運営が行き詰まり、遅配・欠配が起こり始めると、非合法の闇ルートが横行しました。
  当時、「今の世は、星・碇・官 顔と闇、馬鹿者だけが行列に立つ」 という狂歌が密かに囁かれていました。陸軍・海軍は配給の制約が及ばず、官庁関係も何かの特別ルートが有ったようです。顔とは政・官・財界などに影響を及ぼす影の実力者を意味し、闇とは桁違いの札ビラを切って希少な物品を買い漁る行為です。
  一般市民が、生き残るために採った手段は、食糧の "買出し" でした。都市近郊の農業地区に出かけて食糧を調達するのです。農村も生産物は政府に供出するノルマは有りましたが、それでも幾らかの手持ちを残していましたから、それを狙うのです。もちろん、価格は闇値です。時には通貨ではなく、衣類・装飾品などで物々交換する事も有りました。この事は、皮肉にも都市と農村の経済格差を狭める事にもなったようです。
    戦時下の配給生活に関して、当時の中学生だった頃の体験と記憶を基に、この小文を纏めました。制度そのものは、公的組織により遂行されたものですから、当時の諸通達などの公文書が何処かに残されていると思われます。しかしながら、見つけ出せず、止む無く僅かな資料と老生の独断と偏見で草した次第です。
               <以上>

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