無料ブログはココログ

« No.212 :: 昭和一桁生まれの経験した配給生活 (4) | トップページ | No.214 :日本産業の衰退に想う (2) »

2019年3月27日 (水)

No.213 :日本産業の衰退に想う (1)

「日本産業、衰退の現実」

今年の始めころ、"平成30年間の社会情勢の変化を回顧する" というテレビ番組が有りました。それを見ながら往時を追想して、今更ながら、その変化に驚きました。
愕然としたのは、日本産業の凋落・衰退です。例えば、"昭和の高度成長期には、世界のビッグ企業50社を挙げると、日本企業が30社を占めたのに、平成30年ではトヨタ1社のみ、しかも順位は25位だった" という事でした。解説者は米国の グーグル、アマゾン、フエイスブック、アップル、マイクロソフトのいわゆるGAFA & M や中国のフアーウエイ の急成長 を指摘していましたが、特に説明・分析は有りませんでした。                                                この番組で報じられた内容は、嘗ての高度成長・技術革新を支えた開発技術者の末席にいた老生にとって衝撃的でした。
(
4 月27日の読売新聞に同様の記事が詳細なデータと共に載っています。)
             Photo_19                                                            上図は日本産業の凋落・衰退を分析・解説した書物の一例です。この種の書物は何冊も刊行されています、と云う事は事態が如何に深刻であるかを如実にあらわしています。                       

「知らぬ間にOOOの株券は書き換えられていた」

 軍事評論家として令名高かった故伊藤正徳氏の名著 "帝国海軍の最後" に、この一文が有ります。文中のOOOには "潜水艦" の文字が入ります。伊藤氏は、戦前の日本潜水艦隊は質・量とも世界のトップ・クラスであると自他共に認められていたにも関わらず、開戦後の実戦において期待されたほどの戦果を挙げず、逆に軽視していた米潜水艦隊が猛威を振るい日本を壊滅状態に陥れた、と云う実状を、このように表現したのです。
           
Photo_18 
日本
の潜水艦は、強力な武装・長大な航続力を持ち、乗組員の高い練度と相俟って、海外の軍事評論家も高く評価していました。ところが実戦に際し、英米が開発した新兵器 "レーダー" , "ソナー" により、大型で機関音の大きい日本潜水艦は発見され易くなり、敵艦に接近して魚雷発射をする前に探知発見され、強力な対潜攻撃を受けて撃沈されるケースが増えたのです。その上、戦術的には敵の戦艦・空母などの大型艦のみを狙ったので、接敵・攻撃の機会が限られました。
一方、米潜水艦は平凡な設計でしたが、優れた "レーダー" , "ソナー" を備えた艦を多数生産しました。しかも戦略的には攻撃目標を大型軍艦に限定せず、"潜水艦キラー" である駆逐艦 (小型艦) や、低速で防御力も反撃力も弱い輸送艦なども狙いました。
これらの理由が相俟ってか、日本潜水艦隊は当初に期待したほどの戦果を得られず、逆に米国潜水艦隊は猛威を振るい、日本を物資不足に追い込み壊滅状態に陥れました。それで伊藤氏は "知らぬ間に潜水艦の株券は書き換えられていた" と云う名句で表現したのでしょう。

日本はバブル崩壊の前は、「ものつくり大国」「先端技術王国」と称され、世界のトップ・レベルを誇っていました。しかしながら、バブル崩壊により在来の産業・経済が停滞した頃から急激に立ち上がった「情報通信革命の波」に乗り遅れて、停滞・衰退が始まり "失われた20年" あるいは "失われた30年" と云われ、今にも回復に至りません。
伊藤氏の名言に擬えるならば、"潜水艦" は "技術開発力・産業力" に当り、"レーダー" , "ソナー" は "情報通信技術" に相当します。また、戦略的には "新ビジネス" の創出でしょう。

「情報通信ビジネスの遅れ」

 日本は 通信の分野では幾つかの先端的な開発を行いました。例えば日露戦争に際して、海軍は "三六式無線機" を開発して活用し、日本海海戦に勝利しました。また、昭和初期には "テレビジョン" の実験に成功しています。大阪万博でNTTが公開・実演した携帯無線電話機は今日の携帯電話システムの先駆でした。携帯電話とインターネットを結びつけた "i-モード" は日本女性の発案と云われています。現在、スマートフオンの世界標準とも云える "iPhon" にも日本製の部品・素子は多用されていますし、日本発のアイデイアが幾らも採り入れられています。
情報の分野では、永らく米国の IBM社が汎用大型コンピュータで世界に君臨していました。欧州各国も全く歯が立たない程でしたが、日本では日立・日電・富士通が辛うじて対抗していました。とは云っても、大きな格差は否定できませんでした。必死に追いかけている最中に米国では、マイクロ・プロセッサが開発され次いでパソコンが現れ、暫くしてインターネットが生まれました。
パソコンとインターネットは恐るべき可能性を秘めていました。在来の汎用大型コンピュータ・システムを
「大艦巨砲主義に基ずく戦艦中心の艦隊」に例えれば、こちらは「空母を基幹とする機動艦隊」に相当すると云えるでしょう。
この変化に巨人IBM は遅れた様です。アマチュアの若者が手造りしたオモチャに過ぎない、と見たようです。日本のメーカーは、IBM を追うのに夢中でしたから、さらに遅れました。
実は、マイクロ・プロセッサの開発には、日本人が参加していました。電卓市場の競争が激化した時期に、あるメーカーがマイクロ・プロセッサに相当する素子を着想して米インテル社に依頼したのです。このプロジェクトに日本人技師が参画して、"4004" や "8008" を開発しました。その後、量産はインテル社に任せられました。他の日本メーカーで生産をトライした企業も有りましたが、事業としては成功しませんでした。日本は半導体メモリの開発・量産を指向し質・量ともに世界最高を誇りましたが、その後の中韓の追い上げに敗れました。
別の観点からすると、日本はコンピュターの周辺機器、即ち プリンター・スキャナー・ハードデイスクなどのなどの生産では、トップ・クラスでした。欧米の業者にOEMで大量に供給しました。とは云うものの機器単体が主でしたから、途上国の追い上げを振り切るのは困難でした。
日本の業界実態を考察すると、機器単体や部品・素子では卓越し、個々の道具立てには業績を挙げたものの、通信と情報を融合して新事業を創出するには至りませんでした。
米国で成功を収めたベンチュアー企業は、ソフトウエアから出発してビジネス・モデルを着想し、それに要するハードウエアは外注で調達すると云う流れであると感じます。
敢えてアナロジカルに云うと、日本では新ビジネスを創出するのに「加算・減算」的な発想に止まるのに対し米国では「乗算・除算」的な発想をする、あるいは日本は「平面的」、米国は「立体的」とも見られるという事でしょう。
                <以下次号>

                             

                                                                                                                                                                                                                                                

 

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

          

  

 

 

                                    

 

  

 

 

 

 

 

              

 

 

« No.212 :: 昭和一桁生まれの経験した配給生活 (4) | トップページ | No.214 :日本産業の衰退に想う (2) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« No.212 :: 昭和一桁生まれの経験した配給生活 (4) | トップページ | No.214 :日本産業の衰退に想う (2) »