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2019年5月15日 (水)

No.216 :日本産業の衰退に想う (4)

「ゆとり教育の悪しき遺産」

   1980年代頃より、 「義務教育が "詰め込み過密" ではないか」 との議論があったようです。それを受けて 「ゆとり教育」 なる大愚策が強行されました。「教育内容を精選し、理解を徹底させ、自ら考えて生きる力を育てる」 という触れ込みで、教材を大幅に削減しました。特に理数系は4割も薄くなりました。その中でも悪評だったのは、 "円周率を、ほぼ 3.0 として扱う" という件でした。これには、さまはざまな論議が起こり文科省は弁明に追われました。従来は、"3.14159・・・・と続く無限数列であるが、通常は3.14 を使用し、より精密には 3.1416 を使う" と教えていました、老生もそのように記憶しています。小学生に 3.14 を記憶させるのが、詰込みでしょうか? 10歳ぐらいの子供は好奇心旺盛で記憶力も盛んな筈です。
  このような愚策が行われる前に、文科相の諮問機関である中央教育審議会において、著名な女流作家であった委員が 「二次方程式などは、卒業してから1回も使った事が無い、そのようなものを義務教育で教える意味があるのか」 という意味の発言をしたそうです。老生は、この作家の辛口の人生論エッセイは高く評価していましたが、この発言にはガッカリしました。
  このような発言の故ではないでしょうが、教育内容の削減は理数系に厳しかったのです。この時の委員長は東大の理系教授でしたが、後になって 「理数系を削り過ぎた」 と述懐したと云われています。
  ゆとり教育のツケは、PISA (OECD学習到達度)  に歴然と現れました。数学や科学の分野で 2003年には世界のトップの級であったのが、2012年には大きくランクを下げました。ここに至って文科省は 「脱ゆとり教育」 に方針を転換しました。その結果、失地回復の兆しが認められているようです。しかしながら、ゆとり教育において理数系を大幅に削った事は、理数系軽視の風潮を煽ったのではないでしょうか? その後遺症ととして優秀な人材の理工系離れが生じ、産業界
とくに先端技術の開発力の低下を齎しました。まさに "ゆとり教育の悪しき遺産" です。この窮状からの回復には、まだまだ時間がかかるでしょう。

” 発行人の妄言 "    
  上記の女流作家のような発言をする識者・指導層の方は、かなり居るようです。九州のある県の知事だか市長だかは 「女子にサイン・コサインなど教えて何になる、もっと生活に役立つ知識・技能を教えるべきだ」 との暴言を吐きました。ある著名作家は 「幾何など習っても、近道をする時に  "三角形の一辺の長さは、他の2辺の和よりも短い"  という当たり前のことを七面倒くさく教えられた事を思い出す程度に過ぎない」 とエッセイに書きました。
  このような事を云う人は、今日の便利で快適かつ安全な生活が科学技術によって支えられている事実をご存知ないのでしょうか? 発言者は、ジェット機も新幹線も利用しないのでしょうか、テレビを見ずスマホを利用しないのでしょうか、先端医療のお世話にならないのでしょうか、家電機器を使はずに家事をするのでしょうか? これらのインフラ・システム・機器はすべて理数系の学術と応用の成果です。 
  このように云うと、"
すべての生徒・学生が理系分野に進むわけではない"  などと反論する人がいます。しかし近未来は、怒涛のような勢いで進む  "AI 時代" , "IoT 時代"  です。その社会に生きていくには、「生命科学」 「情報科学」 は必須の知識・教養であるとして米国では文系大学でも必修であると伝えられています。日本の文系出身のノンフイクション作家・評論家でも同様な主張をする方もいます。
  隣国の指導者のコトバに 「水を飲む者は井戸を掘った先人の労に感謝しなければならない」  というのが有ります。このコトバを現代的に翻訳するならば、「便利で快適かつ安全な生活をしている人々は、多くの科学者・技術者の努力に感謝すべきである。」 と云うことになります。日本とは政治思想を全く異にしている国ですが、この考えは首肯できます。( とは云うものの、この国は先進諸国のハイテクをパクることで知られています。理念と実状には大きな乖離が有りますね。)
  ここで、老生が独断と偏見で云うならば、文系の識者・指導層の中には理数系に対して一種の怨念を持っている方がいるように感じます。それは、学生時代の試験で、理数系は満点も取れるが落第点の危険もあるのに対し、文系はそこそこの点が得られるし落第点は殆ど無い、と云う性質に起因するようです。
例えば詩人として著名であった某氏は、旧制中学生の時に数学以外は抜群の成績で、"開校以来の秀才" に擬せられたが数学だけは苦手で、その名誉を逸した経験があり、某詩人は数学というコトバを聞くと機嫌が悪くなるので、弟子達は数学と云うコトバを禁句とした、との伝説が有ったそうです。
これに類した経験を持ち、折にふれて理数系を疎外する言説を表明する文系識者は
、かなり存在するように思われます。

「 "プロジェクト X" の時代は去ったのか?」

  2000年始めに NHK から187回に渡って放送された番組で、主として開発技術者の苦闘を活写して多くの視聴者を釘付けにしました。その内容に共通するのは、先端術開発に対する執念です。多くのプロジェクトは、いわゆるボトムアップで始まりました。若い技術者の情報収集と柔軟な発想により、開発の着想が生まれても、組織の世界では直ちに公認されることは少ないのです。
  そのような場合、非公認テーマを自己のリスクを賭け密かに推進する人士がいました。むろん、研究費も設備も無くスタッフも居ません。発想者は、正規の業務が終わってから新テーマの研究を行いました。部品・材料は、廃棄処分品などを流用しました。設備器具の類は業務終了後に借用しました。そのような活動を黙々と続けていると、周囲の人々の中には好意的に手伝う人も現われます。ある程度の成果が周囲に認められてくると、管理職クラスも組織としての公認化を図るようになり、それが認められれば研究費・設備・スタッフも充実して、開発の効率は上がります。
  日本の誇る先端技術製品は、このような経緯で生み出された例が少なく有りません。"プロジェクトX " の放映は 200回近くに達しました。全数が技術開発関係では有りませんでしたが、それでも100種以上の開発製品には、このような秘話が込められていたのです。

                     X   _

  この番組の約10年ほど前には、「電子立国日本の自叙伝」 なる番組も有りました。半導体という新しい電子素子が如何にして開発されたか、という内容でした。米国ベル研究所で発明されたトランジスターに驚き、日本では五里霧中の暗中模索を重ねて追いつき、さらに一部では追い越して半導体王国を築いた苦闘の物語でした。この番組にも開発技術者の多くの秘話が語られていました。

  この2つの番組の内容には、かなりの差異が認められます。"電子立国・・・・"  の内容は 「官産学」の強力なチームワークで  "トップダウン的"  に推進されました。その成果は世界驚かし、「悪名高い通産省」 「日本株式会社」 などと揶揄されると共に羨望の眼で見られました。一方、"プロジェクトX"   の方は、執念の鬼とも云える実務者レベル、いわば 「一匹狼」 によって  "ボトムアップ的"  に遂行されました。
どちらの番組も出色の出来でした。発表当時、開発技術者の末席に在った老生は、深く感動しながら視聴していました。
  ところが、この10年ほど、
この種の番組は低調のように感じます。衛星探査の "はやぶさ" の偉業や "iPS細胞" の臨床応用などが単発の特集で報じられる程度のようです。また、"生命科学"  のシリーズものなども散発的には放映されます。しかしながら、どれも知識の啓蒙に重点が置かれているように感じます、換言すれば、その世界に没頭した "人間" の努力や執念、さらに主人公を支えた家族などにはついては、殆ど触れられていません。放送の頻度が少ない上に、視聴者の情感に訴える迫力に乏しいとも感じます。
      このような事例は、理系への無関心の傾向を放置していると云えないしょうか? 先進諸国に伍して経済大国の座を保つには、憂うべき傾向だと思います。

             < 以下次号 >

 

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