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2019年7月14日 (日)

No.219 :隣の芝生は青い 、一知半解の思い込み (1)

1.   「隣の芝生は青い」

  上記のコトバは日常生活でかなり頻繁に使われます。自分の生活環境に比して他人のそれが、より良く感じられる、という意味でしょう。ヒトは誰でも無意識に自他を比較して一喜一憂する性向があるようです。それが、個人レベルに止まっているならば実害は少ないでしょうが、国家の政治思想や社会体制の比較・批判に及ぶと、時に大きな影響を与えるケースも少なくないようです。


2.    「東洋のスイスたれ」

  1945年に日本に占領軍総司令官として赴任した米軍・マッカサー元帥は、日本国民に進路として 「東洋のスイスたれ・・・・」  と折に触れて示唆しました。当時、日本の国土は焼土と化し、産業・経済は壊滅状態に在りました。陸海軍は解体され、治安維持に当たる警察は非力でした。このような混乱期にマッカーサー元帥は一つの指針を明示したのです。
  元帥の意図が奈辺に在ったかは不明ですが、敢えて忖度すれば、「スイスは  "永世中立の国"  を宣言し、諸外国も承認している、日本もそうすべきではないか?」  という意味だったと思われます。日本の為政者・識者の多くも、そのように受け取りました。そうして、多くの言論人が賛意を表しました。
  この時に、故意か偶然か、或いは意図的にか、"非武装"  というコトバが紛れ込みました。つまり、「非武装・永世中立」  の国と錯覚し、少なからざる論者が 「日本もそうなるべきだ」  と自説を展開しました。

  しかし、スイスは  "非武装"   国家では有りません。レッキとした  "国民皆兵"   の制度を堅持しています。成年男子は自宅に  "小銃・弾薬"   を保管し、有事の際にはそれで武装して前線に駆け付けます。さらに、定期的に  "射撃訓練"   が義務付けられています。また、各家庭では、1年分の   "食糧ストック"  が義務化されています。さらに驚くべきは  "核シェルター"   が要所には設置されています。
  それですから、山紫水明の観光地として、或いはアルプスの娘
ハイジの故郷としてのイメージとは裏腹の  "ハリネズミ的武装国家"   なのです。さらに云うなれば優秀な武器製造の国でも有ります。スイス・エリコン社が開発した "機関砲"  は各国が購入またはライセンス生産しました。日本海軍の名機  "零式艦上戦闘機"   が搭載した  "20ミリ機関砲”   もそうでした。
また、米ソがミサイル開発を争っていた時期に、スイスは独自の  "地対空ミサイル"   を発表して世界を驚かせた実績も有ります。
  要すれば、スイスの 「永世中立」 は強力な軍備により保たれているのです。その実態を見落としたのか、故意に触れなかったのか、日本は 「非武装・中立」  で行こう
という論を力説した論客は多数いました。
実態を正視せず、自説に都合の良い一面のみを採り上げる 「一知半解」  の姿勢は、「隣の芝生は青い」  という発言に似通っているのではないでしょうか?


3.   「米国では、学歴は重視されない、大卒でなくても出世できる」

  米軍が日本を占領した折に、主要官庁の幹部を調査して殆どが東大法学部卒である事を知り,一驚したと当時の新聞は報じました。その記事では、「逓信省  (今の "NTT" に相当)  や鐡道省  ( 今の "JR" に相当 )  のような現業を扱う官庁を何故  "法学士"  が支配するのか?」 との疑問を呈した、と書かれていました。この記事は、かなり話題になり、多くの論者が敷衍して意見を展開しました。
  その多くは、「日本の主要な組織では、東大法学部を頂点とする有力大学を卒業していないと幹部にはなれない。一方、米国では大学卒でなくても、実力と努力で高い地位に就ける。現に歴代大統領でも有力大学卒は多くない。大企業の経営層も同様である。
日本も米国にならうべきだ」 というような趣旨でした。

      その論説の多くは充分な調査も検討もせずに、思い込みを敷衍したお粗末なものでした。米国の歴史は浅く移民の国でしたから、社会制度が未整備であった時期には、「強い者勝ち」 の傾向が有ったと思われます。カッコ良く云えば 「実力主義」 ですが、悪くとれば 「弱肉強食」」 とも云えます。大統領にも大企業経営者にも、いわゆる 「たたき上げ」 が幾らもいました。
       しかしながら社会体制が整うにつれて、それを管理運営するには相応の学識が求められて来ます。換言すれば、高学歴者が幹部候補として遇せられ、その中から幹部・首脳が輩出します。低学歴でも努力と運により社会の上層部に昇り着くという   "
アメリカン・ドリームの時代"   は過去の夢物語となりました。
       米国でシリコン・バレーを中心に半導体分野の成功者が続出した時期に、「大学で電子工学を修め、大学院で "MBA" (経営学修士) の学位を得るのが成功への道だ」 と云われたそうです。これは、既に学歴信仰ではないでしょうか? また、米軍の最高幹部には修士号の学位を持つ人が少なく無い、とも伝えられています。

       主題の説が喧伝されたのは数十年前の事ですから、現在とは相当に乖離があると考えられますが、その当時でも 「実力と努力があれば、高学歴でなくとも社会で成功し得る」  との説は伝説化していたと思われます。それを喧伝した人士は、どこまで実態を把握していたのでしょうか?


4.  「日本の大学入試は地獄と云われる程の苛酷な一発勝負だが、海外では誰でも好む大学に進める」

   このような論説は、一時期に横行しました。論者は、特にドイツやフランスを採り上げました。しかしながら、比較的早い時期に大学進学コース・専門学校進学コース・実社会に進むコース、の "振り分け" が行われて行われている実態を見落としていたようです。
         ドイツでは満11歳で試験が有り、その成績に応じて "ギムナジウム",  "リアル・シュール",  "ハウプトシュール”  と振り分けられるそうです。"ギムナジウム"   は大学進学を目指し大卒後は社会のエリート層を期待される人材が入ります。"リアル・シュール"   は専門学校をを経て、中堅ホワイトカラー層を狙う人が進みます。”ハウプトシュール"   は卒業後に実社会に出てブルーカラーになります。
"ギムナジウム"   の卒業試験をパスすれば  "アビトウール"   という大学入学資格が得られ原則的には、どこの大学にも入学できるそうです。この制度では、資格獲得者数と大学入学定員がバランスしているという前提です。換言すれば、11歳の時点で選別されているから、大学入試での選抜は起こらないのです。
   とは云っても、医学部・法学部などは希望者が多いので、”ギムナジウム"   での成績如何では希望が叶えられないケースも有るそうです。

   フランスでは、高校卒業に際して、大学入学資格である  "バカロレア"  を獲得するのが前提だそうです。この試験には哲学の論述試験が課せられるので有名です。この記述は4時間にも及ぶそうです。しかし、これを得れば、希望の大学に入れる筈だそうです。とは云っても希望者の多い学部では何らかの選抜が有るそうです。なお、大学入学資格を得るには高校に入学を要しますが、広き門ではないようです。
   また、フランスでは "グランゼコール"  という超エリート校が数校在って、この卒業生は若くして指導的立場に立つそうです。その入試と在学時の研鑽は非常に厳しいそうです。

   英国は、元来が階級社会ですから、私立名門校進学については家柄・出身がモノを云うようです。また、国公立の場合は、11歳試験による選別があるようです。

   以上、先進各国は、細部の差異はあっても、11~12歳ぐらいの時点で学業成績による "振り分け" を実施しています。これは当然であって、指導層・管理層はそれなりの学識と判断力・企画力などが求められ、それには相応の素質のある者に教育・訓練をする必要が有るからです。
   身も蓋もない言い方をするならば、素質も能力も欠ける人々に高等教育を授けようとしても、成果は期待できません。その "振り分け"  を11~12歳ぐらいで行うのが妥当であるか否かは議論のわかれる処ですが、欧州諸国では永年にわたり実施しているようです。

   日本には、「分数計算の出来ない、パーセントを理解しない、英語の進行形現在や過去完了がわからない、・・・・・大学生」  が溢れています。日本では11歳試験に該当する選別がなく、大学入試が結果的には選別に近い機能を果たしていますが、それは "Sクラス" , "Aクラス"  の大学のみです。それ以下の大学になると次第に怪しくなり、”Fランク"  ともなると、自分の姓名を正しく書ければ入学できる、とさえ囁かれているそうです。このようなレベルでは、社会に出ても大卒にふさわしい仕事に就くのは困難でしょう。

   また、韓国・中国・インドなどの急成長の国々の受験競争は世に知られています。要するに高学歴が人生の成功に関係すると認識される国々では、程度の差と様式の差があっても、競争と選別は避けがたいようです。激烈な競争無しで誰もが希望する大学に進めるというのは白昼夢に過ぎません。

   繰り返しますが、厳しい競争を経ずに希望する大学に入学できる国も制度も存在しません。むしろ、如何にして国家社会を率いる英才を発掘し育成するかに苦心している筈です。

               < 以下次号 >

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