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2019年8月28日 (水)

No.222 : 昭和一桁生まれの読書遍歴 (1)


1. 幼少時の読書事始め

     確かな記憶は有りませんが、老生の2歳上の姉が小学校に入学した時に一緒に行き、教室の最前列に机を与えられて、一緒に授業を受けました。1933年のことでした。学齢には達していなかったのですが、その当時は黙認されていたのでしょう。そのおかげで、カタカナは直ぐに覚え、自分で絵本ぐらいは読めるようになりました。それが、老生の読書遍歴の始めでした。
  それ以前は母親に 
"絵本"  や  "お伽噺の本"  を読んでもらっていたのですが、とにかく自分で読めるという事が嬉しかったと記憶しています。その当時 「幼稚園」 という月刊誌が有り、それを買ってもらって、拾い読みが習慣になりました。

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 上左図は雑誌「幼稚園」、 上左図は「小学二年生」の表紙です。ただし、老生が読んだのはもっと古いモノです。
   
  やがて、自身が小学生になって読書対象は 「小学一年生」→「小学二年生」→「小学三年生」 とランクアップして行きました。この頃の雑誌は漢字に ”振り仮名” が併記してあるので、かなり難しいコトバでも読めました、その意味は母親に聞いていました。この雑誌は学習雑誌と銘打っていて、教科書(国定)に沿った説明や問題解法にかなりのページを割いていました。それだけに、
小説などの読物は少なかったようです。
   小学2年生の時、怪我により数ヶ月間も病床に伏した時期が有りました。この時、母親が 「発明発見物語」 なる本を買って呉れました。この書物には、ダイナマイトを発明したノーベル、電球など多数の発明をした
エジソン、放射能を発見したキュリー夫妻、オリザニン(ビタミンB) を発見した鈴木梅太郎、テレビジョンを開発した山本忠興・川原田政太郎・高柳健次郎、らの業績が記載されていました。小学生には相当に難しい内容でしたが、何んとか読破したのみならず、その後の進路に大きく影響を受けました。即ち長じて理工系大学に学び、電子技術の研究開発者になったのです。
   この書物の著者は記憶していませんが、発行は講談社でした。菊版と云われるやや大型のサイズでした。戦災により焼失してしまったので、後年になって古書店を探し回ったのですが見つからず、国立国会図書館を検索しましたが、在りませんでした。同名の書物は見つかるのですが、老生の読んだモノとは違いました。80年も前の本ですし、その間には戦災もあって現存しないのでしょう。

2. 文学作品に触れ始めて

   小学3年生の頃、某名門校の音楽教授である伯父から 「ガリバー旅行記」 を与えられました。これは世に多い子供向きの翻案モノではなく、ジョナサン・スウイフト の原作の翻訳本でした。物語の大要は既に知っていましたが、成人対象の翻訳でしたから、意味が解らない語句が多々あり、その度に母親に訊きました。例えば   "大臣の椅子" 、 "自然の要求"  などでした。 この書によって、大人社会の権謀術数の片鱗を知ったように思います。
   さらに、夏目漱石の作品 「坊ちゃん」 「吾輩は猫である」 も与えられました。前者は子供でも大筋は掴めましたし、個々の記述もそれなりに理解したと思います。細かくいうと、やはり母親に訊いたコトバも有ります。例えば  "マドンナ" 、 "野だいこ" 、"湯島の陰間"  ,  "遊廓"   などで、今にして思うと母親を困惑させたようです。後者は始めて始めて読んだ時に、「これは小説か?」 と思いました。それまでの読書経験では、小説とは発端から大団円に至る波乱万丈の物語である、と思い込んでいたからです。とは云っても、軽妙な文章、鋭い文明批評に触れて大人の文芸作品と感じ取り、自分も大人の世界に踏み込んだものだ、と感じました。
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上左図は「ガリバー旅行記」、上右図は「吾輩は猫である」の表紙です。老生が読んだのは以前の版ですが。

3. 歌舞伎の脚本集・落語全集などを読む

   老生の母親は歌舞伎鑑賞が好きで、その脚本集が有りました。
また、父親は落語を好み寄席にも通っていたので、その全集も有りました。これらの書物も片端から読みまくりました。歌舞伎も落語も一昔以上も前の物語であり、成人の世情が舞台です。10歳そこそこの子供に全貌が判る筈はないのですが、既に活字中毒になりかかっていた老生は、「盲人蛇に怖じず」 という調子で読みした。

   ここでも、いろんなコトバを知りました。例えば、"惣領の甚六" ,  "放蕩息子" ,"勘当" 、"居候" ,  "花魁"   などで、例により母親を困らせたようです。さらに、「不義は御家の御法度」「重ねておいて四つに・・・」 に至っては絶句させたに違いないでしょう。何んとも早熟な小学生でした。

   しかしながら、母親はこの種の本を読むのを禁じませんでした。母親は今でいう「教育ママ」でしたが、受験勉強を強いるタイプでは無かったのです。時の小学校教育は、"教科書至上主義"   が主流だったようで、老生の通った小学校の校長はその分野の有力者でした。その校長は学習雑誌さえも排撃しました、況して小説・物語・雑学の類は禁書扱いで、父兄会の折に好ましからざる旨を力説していたそうです。そのような風潮のなかでも母親は別の見識を持っていたようです。当時、情操教育を主張する別派の教育者の一群も居て、そちらの意見に好意を抱いていたようでした。

              <以下次号>

 

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