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2019年8月22日 (木)

No.221 :隣の芝生は青い(3)

6.  「大学学費の無償化」

  近時、"大学学費の無償化"  が巷の話題になり、それを政策として力説する政治家が増え、賛成する識者も多いようです。世の中には能力も意欲も有りながら家庭の経済力の故に大学進学を断念する若者は少なく無いようですから、この主張は時宜を得たものと云えます。多くの論者は諸外国の例を挙げ、日本もそれに倣うべきだと力説します、しかしながら、どこまで実態を把握しての主張であるのか疑問を呈したくなるような人も中には居ます。
  真っ先に問題になるのは財源です、これには型の如き名論卓説が幾つも展開されていますから、ここでは触れません。それよりも、諸外国の詳細な実態を知りたいと老生は思います。一口に "大学学費の無償化"  と云いますが、対象学生の成績を問題にしないのか、専攻分野に制約はないのか、卒業後に何らかの義務はないのか、学生の家庭の経済力を考慮しないのか、等々の疑問が直ちに生じます。

       北欧のある国では、医・理工・法・経営などの実学分野の学生には適用されるが、文学・芸術などの分野は個人の趣味嗜好に関わる分野として対象外であるとの情報もあります。老生は未だ裏付けを取っていませんが、妥当な選別だと思います。
  国により事情は違いますが、日本の場合、大学の数は700を超えるそうです、その中の底辺校の学生には分数の計算も出来ず、百分率の意味も解らず、英文の進行形現在や過去完了も知らぬ学生が少なく無いといわれます。このような低レベルの学生まで税金を投入して学費を無償化するのは如何なモノでしょうか? 
また、そのような学生の専攻分野は殆どが地道な積み上げを要する理系分野ではなく、“情報” とか ”国際”   などと云う「冠コトバ」の付いた当世流の一見カッコ良いが、焦点の定まらぬ学部に籍を置いているようです。

  老生が独断と偏見を以て暴論を云うならば、"大学無償化” は  "S, A, B ランク"  の大学生ぐらいまでを対象にすべきで, それ以下の  "Fランク"  までを含めるのはバラ播きと云うべきでしょう。
老生は、民間企業と教職の両方の世界に在職しました。その経験からも、無条件での大学無償化には疑問を呈します。世には、その孰れにも経験のない政治家や識者が、海外の事例を充分に調査せずに、声高に論じてい
るようですが、老生は疑問を呈します。


7. 「ゆりかごから墓場まで」

    第二次大戦後に、英国では労働党が政権を執り世界初の福祉国家を実現しました。その核心は、日本的に云えば ”医療保険制度"  と "年金制度" です。 後に北欧諸国が福祉国家として著名になりましたが英国が先駆であったようです。当時、英国は戦勝国であり、世界に植民地を持っていた経済大国でしたから、そのような政策を実施する経済基盤は有ると立案者は考えたのでしょう。
  老生が社会人になったのは1952 年です。まだ戦後を払拭しきれない時代でしたが、"健康保険料" 、"年金保険料"  は給与から天引きされていました。老生の記憶では、英国の制度が 「ゆりかごから墓場まで」  と云う
キャッチ・フレーズ で伝えられたのは、それよりも後だったと思います。してみれば、日本は実質的には進んでいたわけです。

   それはそれとして、英国の制度は数年にして危機に陥りました。それは、戦後の英経済は 「英国病」 と云われるほどの不振に見舞われたからです。植民地を順次手放した上に労組の力が強過ぎて生産性が低下し国際競争力を失ったからだと云われています。その理念とやらは立派なモノであっても、それを実現するための背景が確かでなければ「絵に描いた
餅」に過ぎません。

         ここで老生が云いたいのは、日本でも既に同様な世策を実施していたと云う事実を把握せずに、「さすがに英国だ、日本も見習うべきだ」  などとゴタクを並べた論客の不勉強ぶりです。彼等は特に左翼系の論者が唱える施策を金科玉条として、日本もそうすべきだと、と声高に叫んだのです。
   その後、英国では政権が交代し、 "鉄の女"  サッチャーが首相に就任して政策の見直しが行われてました。サッチャーは 「金持ちを貧乏人にしても、貧乏人が金持ちにはならない」  との名言を吐いたと伝えられます。まず財源が必要で、それが不十分では如何なる福祉政策も不発に終わる、と云う事です。
   今日、諸外国とくに北欧の福祉政策を妄信する方は絶えないようです。英国の前例も併せて考慮すべきではないでしょうか? 


8. 「その他モロモロ」

   1945年の敗戦後、米占領軍等により米市民の社会・家庭の様相が洪水のように伝えられました。どん底生活に喘いでいた日本人にとっては、夢の世界でした。当時の交通・通信事情は現在とは比較にならないほど貧弱なものでしたから、僅かに伝えられる一方的な情報を鵜呑みにしたのです。その中には、針小棒大な話、局部的な事例を普遍的な事象であると思い込んだ談話、などが無数に有りました。相応な見識を持っている筈の識者の視察談などでも、怪しい箇所は幾らもありました。
   例えば米国では 「モータリゼーションが進んでいる、欧州諸国もそれを追いかけている、日本もそれに倣うべきだ」 と云う説が有りました。この論者は国土面積の差やガソリンの入手経路の遠近などを一切考慮しなかったようです。このような論者は新幹線の計画を時代錯誤の暴挙であると断じました。
   また、「路面電車などは自動車の走行の邪魔になる、撤去すべきだ」 との論も現われ、その故か大都市の施設は殆ど撤去されてしまいました。近時、その良さが再認識されて、地方都市などでは拡張される例が有ります。
   都市の公園の広さを論じて、ニューヨークのセントラル・パークやワシントンのメトロポリタン・パークを引き合いに出し、東京の日比谷公園と比べて云々した識者もいました。この方は国土面積が米日では20倍も違う事を知らなかったようです。さらに云うならば、東京には他にも上野公園・後楽園・濱離宮などの公園が有り、合計すれば相当な広さになります。この程度の知識も持たずに、したり顔をする人は少なくなかったのです。

9. 「おわりに」
   以上、思いつくままに、独断と偏見の雑文を並べました。
お読み頂いた方に謝意を表します。

                   <以 上>

 

 

 

 

  

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