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2019年9月26日 (木)

No.227 : 昭和一桁生まれの読書遍歴 (6)

9. 「現役技術者時代」

   10年程も "超短波移動無線機"  および  "測定検査法"  の仕事をやり、そこそこの中堅技術者には成りましたが、その頃から大きな技術革新の波が押し寄せ始めました。1950年に導入・国産化された超短波移動無線システムは通信方式としては30年間も殆ど変わりませんでした。活性素子が真空管から半導体に変わったのは画期的でしたが、方式の変化は無かったのです。
その方式とは、1ユーザーに1周波数を割り当てる、中央基地局に対して多数の移動局が所属する、基地局からの一斉指令的な通報に対し該当する移動局が応答する、基地局からの通信範囲は30 km 程度、有線電話系には接続しない、というのが特徴です。具体例としては、警察署と傘下のパトカー、消防署と傘下の消防車・救急車、タクシー会社の配車指令所と傘下のタクシー、などがあります。

          そのようなシステムを襲った大波は、有線通信と無線通信を統合した通信システムの提唱です。元来、「通信システムの理想」 は 「いつでも、どこでも、だれとでも、交信できる」  とされて来ました。先に運営された有線通信は交換技術や海底ケーブルの発達により、「いつでも、だれとでも」  の条件は達成できましたが、「どこでも」 の条件は不可能でした。飛行機・艦船・鉄道・自動車などで移動している相手とは交信できません。いや、徒歩で移動しているケースでも無理です。一方、遅れて開発された無線通信は、クリアできますが、「だれとでも (特定の相手を指定)」  は困難です。
          社会の進歩・変遷に伴い、有線・無線を統合して 「いつでも、どこでも、だれ
とでも」  可能な通信方式が望まれる気運が到来しました。日米欧の有力機関は一斉に研究開発に乗り出しました。結論的には、ほぼ同一方式に収斂しました。日本は1970年の大阪万国博覧会に  「ワイヤレス・テレホン」  として携帯電話の原型を展示して話題となりました。これを契機として携帯電話  (自動車電話を含む)  は世界に広まりましたが、そこで開発された技術は従来からの移動数信系にも大きな影響を与えました。

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   その第一は  "マルチ・チャンネル・アクセス"   の考えです。複数のユーザー群に対し複数の周波数を共用させるシステムで、交信に際し空きチャンネルを探して回線を形成する方式です。この手法で限られた周波数を有効に使用できますが、そのための一連の動作は機器に内蔵したコンピューターにより自動的に行なう機能が必要です。
   その第二は、"デイジタル技術"   の導入です。空きチャンネルを探し、それを見つけたら直ちに送信機・受信機をそのチャネンネルに設定する制御指令はすべて  "デイジタル符号"  の送受で行います。そのための技法が必要になりました。さらに、デイジタル符号は  "0"   と "1"   の2種類だけで構成しますから簡単だと思われた時期がありましたが、実は雑音の影響を受けやすく、いわゆる  "符号化け"   を生じて、情報が全く違ってしまうケースが有るのです。その対策として高度の数学理論を駆使して自動的に誤り訂正をする 「符号理論」  という学術分野が生まれました。
   上記の2項目の他にも幾つかの目新しい技術が導入され、在来の移動通信技術者にとっては、「黒船の襲来」 でした。しかも、総合的なテキストは存在せず、速報的かつ部分的な論文を散見するのみでした。この時、老生らが頼りにした情報源は、「米国電気電子学会 (Institute of Electric and Electronic Enginiers ) 」 の論文誌でした。それも "ICC"  や "VTS"  などの分科会の会報という速報的な資料でした。老生は数回にわたり渡米して分科会に参加して資料
を集めました。これらの資料は、発行部数が少ない簡素な小冊子なので、機会を失すると入手困難です。国内ではは郵政大臣の諮問機関である  「電波技術審議会・第二部会・第四小委員会」   が検討していました。老生は関係方面に働きかけ、専門委員に任命されて参画しました。
   このような情報収集を介して痛感したのは、"Give and Take"   の現実です。こちらが相応の情報提供できれば、相手からも相当の情報を得られる、というわけです。内外の委員会・研究会では各社のエキスパートと侃々諤々の討議を行いましたが、散会の後では三々五々に喫茶店に集い、そこでも情報戦を展開しました。
       
   技術者は常に座右に 「ハンドブック」 と云う書物を置き、絶えず参照しながら業務を進めます。これは、その分野に関わる知識をる集約した本で、上手く使いこなせれば一人前の技術者と云われました。老生が愛用したのは   "通信工学大鑑"   というモノで、1944年の刊行です。既に太平洋戦争は敗色濃厚となった時期ですが、日本の通信工学の集大成と云うべき大冊でした。大御所・八木秀次博士が監修して多数の研究者・技術者が執筆しました。老生は無線工学を専門としましたが、時には有線工学の知識を必要としました、そんな時には有力な資料でした。戦時下においても、総力を挙げれば、このような書物を編纂できたのです。当時、これほど内容の豊富な類書は他国には無かったと思います。
   海外書で多用したのは、"Radiotron Designeer's Handbook" でした。電子管王国を誇った米国RCA 社の編纂したハンドブックでした。この書は電子管そのものの記述は詳しいのですが、回路設計についてはラジオ受信機が主で、テレビジヨンや超短波無線機などの記載は殆どなく、老生にとっては期待外れの感がありました。
他に "Reference Data for Radio Engineer"  という書物が有りました。米国 ITT 社 (国際電信電話)    の編纂になるモノで、マイクロ波にも及ぶ広範は内容でした。しかし、それでも回路設計者を満足させるには十分では有りませんでした。

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   電子回路技術者は、"役に立つ" 設計資料を渇望しています。回路例が示されていても、その回路定数が如何にして決めるか? と云う疑問です。基礎的なテキストは動作原理を解説しても回路定数の選定については明示していません。ハウツウ的な実務書は天下り的に実例を記すだけです。上記した "ハンドブック"  の類も、具体的に回路設計をするには無力でした。 
その実情を指摘し、設計 (回路定数算定) に役立つと宣言した著作が遂に現れました。「ラジオ設計工学」とっ銘打った書で、著者は高橋良氏でした。この書は比較的簡単な数式や、定規を当てれば良い計算図表を多数記載していました。ただし、対象をラジオ受信機に限定していました。老生の専門は超短波無線機でしたので、この書を参考にして自力で設計公式や計算図表を創り使用しました。
蛇足を云うと、その頃はパソコンもプロッターも有りません。手回し計算機と計算尺および算盤で計算し、計算図表は手書きでした。例として無線機に多用される複同調回路を設計するのに使用する特性曲線の図を示しました。
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                                                                 <以下次号>

 

                

 

 

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