無料ブログはココログ

« No. 239 : 諸賢の高説・名言・警句 (4) | トップページ | No. 241 : 小説を読んで疑似社会体験 (1) »

2020年4月18日 (土)

No.240 : 「 緊急事態宣言 」 に想う

     新型コロナ感染症の蔓延は止まず、遂に  「  緊急事態宣言  」  が全国47都道府県に及びました。この報に接して卒寿の老生 は反射的に往時の  「 戒厳 令  」  を想起しました。

「 戒厳 令 」 について

   これは、 " 戦時 " 、" 自然災害 " 、" 暴動 " 等に際して、軍事力を以て国家の一部若しくは全部を統制下に置く事です。この際、国民の権利を保障した  " 憲法 "  などの諸法規の一部を停止したり、" 行政権 " 、" 司法権 "  の一部若しくは全部を軍部の統制下に移行します.
        日本では、日清戦争および日露戦争において、軍事基地を有する地方都市に実施された例が有ります。さらに、" 緊急勅令による行政戒厳 "   が発令された例があります。それ
は、1905年の 「 日比谷焼き打ち事件 」、1923年の 「  関東大震災 」、 1936年の 「 二・二六事件 」  の3回です。
   最後の 「  二・二六事件  」  の時に、老生は小学2年生でしたから、詳しくは判りませんでしたが、それでも父親が新聞  ( 多分、号外?)  を片手に 「 大変だ、大変だ 」  と云っていたのを覚えています。また、東京には珍しい大雪が降っていました。その時、子供心にも、非常な不安に襲われたものです。
         第二次大戦後、日本は数年間にわたり米占領軍の支配下に在りました。内閣も官僚組織も存在しましたが、政策の大筋は米軍から発しました。過激なメーデーや大規模ストライキは米軍の指示で鎮圧されました。この状態は実質的には、戒厳令下の市民生活だったと老生は感じています。
これは、日本人にとって、4回目の大規模な 「 戒厳 令 」  と見られるのではないでしょうか?

   戦後、日本には軍部は存在しませんから 「 戒厳 令 」 の発動は法的には起こり得ません。しかしながら、「 それでも良いのか? 必要な事態が起きる可能性はないのか ? 」 という危惧は存在します。

「 緊急事態宣言 」 について 

        
この場合は、現在の政権および地方自治体が、現行法規の範囲で行動します。従って、" バー " 、" クラブ " 、" ライブ "   などの三密を想定される事業者に営業自粛の要望は出しても、休業命令では無く、また要請に従わなくても罰則は有りません。自粛しない業者名を公表するなどと云っていますが、実効は有るのでしょうか? 強制力も罰則も無いのでは効果は期待できないでしょう。
  
 一方、諸外国のコロナ対応の映像がニュースに紹介されますが、警察官が強い態度で臨んでいるケースを散見しますから、ある程度の強制力が有るようです。

   老生は法規や国際事情には疎い者です。それですから、一見同じような法制用語でも日本と諸外国では内容に差が有り、公権力の行使も異なるとは想像しますが、細部については無知です。しかしながら粗く見ると、諸外国での緊急事態は  " 戒厳 令 "   にかなり近いようですが、権力が軍部に移行するか否かという視点では大きな差異があるのでしょう。

「 卒寿老人の妄想 」

          老生は1929年の生まれです。戦前の  「 二・二・六事件 」  を微かに知っています。さらに1937年に始まった日中戦争,1941年からの大東亜戦争 ( 太平洋戦争 ) , 1945年からの米占領軍による統治、を全て経験しています。これらの時代は、実質的には 「 戒厳令下 」  に在ったと云っても過言ではないと思っています。思いだすままに事例を記しています。 

   戦況が苛烈になるに従い、不急・不要の産業は一切停止になりました。例えば、老生の父親は呉服店を営んでいましたが、和服とくに婦女子向けの商店などは戦時下には相応しくない、として廃業に追い込まれました。そして父親は軍需工場で兵器生産の作業員になって生計を支えました。また、老生は中学生でしたが、学業は殆ど棚上げされ、軍需工場に動員されました。 
   衣食などの生活用品は 「 配給制 」  になり、 " 家族数 " 、 " 職業 "   などに応じて割り当てられた量が指定の店を通じて指定の期日に配給されました。その配給量は充分でなく、そのために非合法の流通ルートが横行する事態になりました。また、配給の実務を受け持ったのは在来の   " 米屋さん "  、" 酒屋さん " 、" 煙草屋さん"  、などでしたが, 俄に態度が大きくなり役人風を吹かすようになりました。
   さらに、空襲の
危険が迫ってくると、家屋の  「 強制疎開 ( 取り壊し) 」   が強行されました。これは木造家屋の密集地域での延焼被害を軽減するために、ある間隔で指定した家屋を破壊廃棄して 「 空き地 」 を造ったのです。当時中学3年生であった老生は、この作業にも動員されました。その家屋の持ち主に対する経済的な保障はゼロに近かったようです。また、住人は移住する羽目になりますが、その費用も恐らく同様だったと思われます。
   以上は、ほんの一例ですが、軍部の強権を身に染みて感じさせられました。「 戒厳 令 」 が発令されたわけでは無く、法的に軍部が政権を掌握したのでは有りませんが、政治家・官僚が軍部の意向に沿わざるを得ない情勢でした。実質的には戒厳令下の生活と見られます。

   戦後の占領時期は、当然の事ながら ”GHQ ( General Head Quaters : 占領軍総司令部 ) " が全権を把握しました。日本の閣僚も官僚も  " GHQ "  から出る命令や勧告に従うだけでした。時には強権の行使も有ったようですから、正に " 戒厳令下 "   に在った、と云っても過言ではないでしょう。

   ここで老生が独断と偏見で云うならば、現在の  「 緊急事態宣言下の生活 」  と  「 戒厳令下の生活 」  はかなりの共通項が見られると感じられます。どちらも、個人の生計に関わるほどの制約があり、しかも保障は殆ど期待できないようです
   
例えば、緊急事態では、三密状態の職場  ( バー、クラブ、カラオケ、ライブ、イベント など )  の自粛を要請していますが、それによる経済損失の補償は明言していません。また、フリーのタレント氏なども出演の機会が減り苦境に在ると云いますが、救済策は明示されないようです。過去の戒厳令における窮状の有様は上記しましたが、現在の状況はそれにかなり近いケースも有りそうです。

          人生80年時代と云われます。日本では健康保険が充実して寿命が延び、、年金制度が普及して経済的に相当のセーフテイ・ネットが存在しますから、人類の長い間の願望は相当に達せられたように感じます。しかしながら、視点を転じると、ヒトは一生の間に、数回の不可抗力的な危機に襲われるような気がします。
   老生は、「 二・二・六事件 」  「 日中戦争・太平洋戦争 」   「 米軍占領下 」  「 コロナ禍 」   などを経験していますし、親の世代は、「 関東大震災 」  「 二・二・六事件 」  「 日中戦争・太平洋戦争 」  「 米軍占領下 」  で辛酸を舐めました。地域によっては、" 地震 " 、 " 洪水 " 、 " 津波 " 、 " 放射能 "  などに見舞われた方々もいます。
   一生を通じて、これらの危機・災害に無縁の人は殆ど居ないのでは無いでしょうか。 「 人間万事塞翁が馬 」   と云う古語を身に染みて感じる日々です。
  
                < 以上>

 

   

 

 

 

                     

 

 

 

« No. 239 : 諸賢の高説・名言・警句 (4) | トップページ | No. 241 : 小説を読んで疑似社会体験 (1) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« No. 239 : 諸賢の高説・名言・警句 (4) | トップページ | No. 241 : 小説を読んで疑似社会体験 (1) »