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2020年5月26日 (火)

No.244 : 蔵書についての迷論惑説 (2)

3. 市民知識層の蔵書量はどのくらい ?

   知識層の定義は明確ではないようです。一応、大学卒かそれ以上の学歴を持ち、ホワイト・カラー的な職業に就いている階層とします。今や18歳人口の 50% は大学生だと云われますが、卒業後にホワイト・カラー的職業に就ける者は、半分ぐらいだそうです。このように想定すれば成人人口の 25% は知識層と見込めますが、それは過大とも感じます。
近時の大学生の中には、「 分数計算ができない 」  「パーセントの意味内容を理解していない 」  「 英語の進行形や "be 動詞 "  を知らない 」  人が少なく無いようですし、卒業後の就職もグレイ・カラー的かそれ以下の人も相当いるそうです。それらを考慮すると、知識層に値する人は成人人口の 10% ぐらいかもしれません。
   その詮索は、一応棚上げにして、知識層の蔵書量は幾らぐらいでしょうか? 
老生が独断と偏見を駆使して、見積もれば1000~3000冊も有れば、相当な読書好きと思います。その根拠は、購入費用と収納場所です。 毎月5000円を投じれば5冊ほど、1年で60冊、30年で1800冊になります。また、4畳半ないし6畳間を書斎として占有すれば、幅90cm  高さ180cm  ぐらいの既製書棚を4~8個は置けます。書棚1個に300冊入るとすると1200~2400冊は収納できます。
実は、このくらいの資金と場所を工面できるのは、相当な愛書家であり且つ奥方の理解を得られる方でしょう。
    この推定で、書籍購入費は180万円になりますが、これを高いと感じるか否かは各人の生活感覚や人生観によるでしょう。蛇足を云うならば、小型乗用車の価格や海外観光旅行の費用と比べれば、贅沢な出費ではないと老生は感じますが。

. 蔵書の活用・管理・保管に関わるモロモロ

   老生の私見では、相当な愛書家・読書人でも個人持ちの書物に就いては、自然体で扱っているようです。つまり、図書館で行うように蔵書票を貼り、分類番号を記載する事はせず、専ら所有者個人の感覚・記憶に頼って管理しているわけです。個人持ちの程度であれば、概ね可能のようです。
   老生の学生時代の経験では、教授の研究室には膨大な書籍・文献・資料が無造作に書棚に詰め込まれていましたが、特に分類も整理もしていませんでした。それでも教授は配属された研究生に対して、的確な指示を行い必要な資料を取り出させました。教授の頭脳には、学術資料の内容や価値だけでなく、その収納場所までも明瞭に刻み込まれていたわけです。
        学者・研究者が学術論文を書く際には、参照した文献・引用した文献を正確に記載するのがルールです。それですから、文献・資料の取り扱いには細心の注意を払います。教授の研究室には、恐らく数千以上の図書・文献が有る筈ですが、それを目録なしに自由に検索・閲覧する手際には敬服します。もっとも、研究室に助手や大学院生が在籍していますから、それらの方々が陰でサポートしているケースも有るでしょう。
   作家や評論家の中には、秘書を身近に置いて書籍や資料の管理を任せている方もいるようです。さらに上を行くのは、複数の助手に原稿を分担して受けもたせ、それを総合・アレンジして作品に仕上げるライターがいるそうです。まさに文章工房の主という形です。このような話を聞くと、「 それでも作家か 」  と疑念を抱く方も居ると思います。しかしながら、学術書では、権威ある監修者の下に数人の著者が各部を受け持つ共著の形式は珍しく有りません。
   都市伝説に近い話ですが、海外からの学術書が貴重であった時代に、同じ書籍を2冊購入した学者が居たそうです。1冊は大事にしまい込み、1冊には、傍線・書き込み・付箋貼り、などをして完全に理解しようと努めたそうです。或いは、製本をバラして1頁ごとに白紙を挟み込ませて再製本させる方も居たと云います、この白紙には読者としての注記・感想・追記を書き込むのです。その当時は海外の学術書は極めて高価ごでしたが、それでも敢えて上記のような手段を執ったのは、海外に追い付く必死の策だったのでしょう。蛇足を云うならば、現在では複写機・パソコン・簡易製本具などを駆使して、同様な効果を得られます。

5.蔵書の処分に関わるモロモロ:古書店主の情報網

   収納スペースの制約と読書嗜好の変化から、10年も経れば蔵書の一部を処分する人は多いと思います。老生も、過去に何度か古本屋さんと交渉を持ちました。その経験から感じるのは、世情の変化と共に古書の価格が変動する事です。例えば1950年代では、戦前に刊行された百科事典・文学全集・哲学書の類が高値で取引されました。戦災で多くの蔵書が失われ、その後の再刊は困難だったからです。
1960年代になると、漸く再刊書・新刊書が現れるようになり、戦前版の古書の価格は特殊な品を除き低下しました。旧版の百科事典などは甚だしかったようです。
         老生の親族に音楽大学の教授が居て、その人の死後に蔵書の整理をした経験が有ります。その時に、専門古書店主の情報網の凄さを経験しました。故人と交渉のあった芸術専門の古書店に電話すると、早速ライトバンを駆って現れました。故人は  " 西洋中世音楽史 "  の権威として、貴重な文献資料を多く所蔵していると学者仲間では知られていたそうですが、却って近親者は知らず、専門の古書店主の方が熟知していたのです。
来宅した古書店主は書棚に並ぶ横文字の本を一睨みしただけで
「 はい、OO万円 」  と云い切りました。遺族側の人々は全く専門が違うので、異論も反論もなく、取引は済みました。その後でお茶を飲みながら、業界の事情を興味深く聞きました。
   今から約40年ほど前に、芸術・音楽系の大学の新設、あるいは既設大学の芸術・音楽系学科新設が盛んに行われました。その際には膨大な資料を関係官庁に提出して審査を受け、認可を得るのです。資料の中には蔵書のリストが有ります。新設の学部・学科の内容や学生数などに応じて、備えるべき図書の種類や冊数が指定されるので、その条件を満たさねばなりません。
そのための書類を整え、且つ現物を手配
・配列する作業は容易なことでは有りません。そこで、一連の作業を有力な古書店に丸投げする事例も有りました。古書店側は情報網を巡らして学園側の新設計画を察知して、それに対応するメニューを創り、学園側に売り込むわけです。現に老生が交渉を持った古書店主は、数ヵ所の大学の注文に対処したそうです。
    このような事例は、老生も後年に経験しました。民間企業で開発設計の技師であった老生は役職定年後に地方私大の教員に転職しました。その時、その私大で学科新設の企てが有り、その折に上記のような専門古書店との交渉に新任の老生も顔を連ねましたが、古書店主の情報通には驚かされました。
    やはり、都市伝説でしょうが、卒業論文のテーマにに悩んだ大学生が、古書店主に愚痴ったところ、古書店主は適切なアドバイスをして呉れたそうです。その古書店主は学生の指導教授の学風・研究態度などを熟知していたからだと伝えられています。これも、古書店主の実力を示す挿話でしょう。

6. ブログ発行人のタワゴト

    老生は子供の時から読書好きでした。しかし両親には、その性向・習慣は有りませんでした。母親は歌舞伎を好んでいたので、「 世話狂言傑作集 」  「 時代狂言傑作集 」  の類が10数冊ほど有りました。老生は親から与えられた小学生向きの名作シリーズなどは忽ち読破したので、前記の狂言集までも読み漁りました。
    旧制中学校に入学してから、級友の家を訪ねた時に、壁一面に並んだ書棚に収められた文学全集の類を見て、別世界の感を抱きました。また、別の級友の家では 「 少年倶楽部 」  「 新青年 」  「 子供の科学 」  などの雑誌がズラリと並んでいるのを見て驚嘆しました。老生の家庭は、多数の書籍が本棚に整然と並んでいるような環境では無かったのからです。
大學は理工学部でしたが、級友の中には文芸系の書物を多数読んでいる者が相当数いました。実験やレポートに追われる多忙の間にも、「 岩波文庫をXX冊読んだ 」  「 世界文学全集を読破した 」  などの話が飛び交っていたのです。これは脅威でした、老生は読書好きを自称していましたが、老生を上回る読書家が少なからず居たのです。
    上記のような幼少期から青少年期の読書経験を経て、今や卒寿を超えるに至りました。すべての職業をリタイアして20年のなります。この間、毎週のように図書館の通い、目についた本を借り出しています。80年以上も読書を続けられているのは幸せです。
< 以上 >        

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