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2020年7月16日 (木)

No.246 :芸術は長く、人生は短い、先端技術はさらに短い (2)

3. スマホに至る携帯電話の歩み

   " 携帯電話システム "   が出現する前の個人用通信システムは  " 有線固定電話機 "  が有るのみでした。このシステムでは、特定の家屋や事業所に電話機を設置し、それには固有の電話番号を付与していました。通話に際しては、送話者も受話者もそれぞれの電話機の近傍に居なければなりません。例えば、自宅の電話機から勤務先の電話機と交信する、或いは勤務先の電話機から取引先の電話機と交信する、というようなケースです。
どちらのケースでも、電話機は特定の場所に設置されていて、通話者はその場所に行くのです。
   このシステムは1876年に  " A.G.Bell "   により発明されました。その基本原理・構造は100年近くも変わりませんでした。100年の間には、交換接続が手動方式から自動方式に進化し、信号伝送線路が銅線から同軸ケーブル、マイクロ波、光ケーブルと飛躍しましたが、有線固定電話システムの基本システムは不変でした。
   1980年代になって日米欧で殆ど同時に実用化された  " 自動車電話システム "   は、画期的な通信システムでした。自動車のように絶えず位置が変わる移動体に電話機を設置して、走行中でも通話できるシステムです。このシステムでは、電話機の位置は一定しません。従って、情報を伝えるためには無線回線 ( 電波 )  と有線回線を融合した技術が必要です。
   無線技術は1893年に G.Marconi によって発明されました。無線通信は当初は、船舶・航空機・離島・大陸間などの分野に
活用され、有線通信とは別々の発展経過を辿りました。
   通信の理想は、「 何時でも、何処でも、誰とでも、交信できる 」 とされています。この中で、「 何時でも、誰とでも 」  は有線系のみで可能ですが、「 何処でも 」  を実現するには無線系が不可欠です。さらに云えば、" 交信相手が何処にいるか "   を探し出す機能も含みます。ここで生み出されたのが  " セルラ方式 "   です。これは、" 小ゾーン方式 "   とも云われます。詳説は避けますが、ヘーゲル哲学が説く 
「 正→反→合 」  の考えを適用すれば、「 正:有線系 → 反:無線系 → 合:セルラ方式 」  と云えると思います。
   " セルラ方式 "   は妙手・奇手と云うよりも、むしろ単純・素朴な発想を物量で強行する技法とも見られます。世界中の何処かに、しかも時々刻々と移動するかも知れない交信相手を、電話番号だけの情報を手掛かりに探し出して、瞬時に通信回線を形成して通話を可能ににする、この一連のプロセスは多様の高度な技術の某大な集積により可能になったのです。
    それが可能になったのは、半導体とデイジタル技術の飛躍的な進歩が有りました。さらに、多くの加入者の中から特定の二者を結ぶ回線を構成するための   " マルチチャンネル・アクセス "    や回線の制御のためのデジタル符号に生じやすい符号誤りを自動訂正する ” 符号理論 "  、精度の高い周波数を発生させる  " PLL回路 "    などの研究開発なども必要でした。また、初期にはダンボール箱ほどの大きさであった機器を小型辞書ほどの大きさにまで小型化するには、部品・素子の超小型化・高密度化も必要でした。

    以上、極めて粗い概説を記しました。個々の細部については、多数の学術論文・特許資料・解説書が有りますから、ここでは触れません。
強調したいのは、A.G.Bell  の 電話 ( 有線 ) の発明から約200年を経て、今日の「 スマホ時代 」 が生まれた事実です。その間に、数千人を超える研究開発者、数万人を超える設計技術者の不断の研鑽努力が有りました。恐らく大半の当事者は 「 研究人生は有限、開発課題は無限 」 という現実を痛感していたと思われます。
 

4.   不発・薄命に終わった革新技術

    既述したように携帯電話機の技術革新は急激ですが、その流れは連続しています。一方、技術開発の歴史において、画期的と云われながらも大成せず短命に終わったか、不発で消滅した製品が有ります。

4-1 " ポケット・ベル "

    例えば、自動車電話・携帯電話に先行した「 ポケット・ベル 」  は好例でしょう。これは、社外に出ているセールスマンに、本社から緊急の連絡事項が生じた時などに活用されました。本社の固定電話機から呼出の番号をダイヤルすると、電話回線 → ポケット・ベル局 → 呼出信号発信 ( 電波 ) → 呼出信号受信、というプロセスを経てセールスマンは本社からの  " 呼出 "   を知ります。そこで最寄りの固定電話機から本社に連絡して用件を知ります。今から見れば、ずいぶん迂遠な手法と感じますが、当時としては、画期的なシステムでした。
このシステムは米国ベル社が先鞭を付け、日欧などが追随し事業化しました。間もなく、数字列なども送れるようになったので、簡単な情報は扱えるようになり、グループごとに独特の数字暗号を作り活用しました。特に若い女性の間に流行しました。
           このシステムは、日本では1966年に始まり、1996年には加入者数 1000万 に達しましたが、十数年遅れで開業した自動車電話・携帯電話に押され、2007年には廃業に至りました。研究開発は、1950年代から始まり、幾多の論文・特許が生まれました。老生の知人には、その分野の研究で博士号を得た方もいます。後から批判すれば、携帯電話に至る脇道の一つだったとも言えますが、この分野に半生を賭けた研究開発者は少なく無かった筈です。
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上左図は標準的ポケベル、上右図はフアッショナブルなモデルの例。   

4-2 " パ-ソナル無線機 "

    個人が使用できる無線機器として1982年から実用化されました。それ以前の無線機器は、軍隊・海保・警察・消防・などの安全保障にかかわる分野および航空・船舶・鉄道・輸送・電力・ガスなど業務に限定されていました。1982年に個人または小規模事業者にも開放されるようになり、パーソナル無線というカテゴリーが制定されました。
    この無線機の有効通話距離は10数 ㎞  で、数人~数十人のグループで使われました。宅配業者・運輸業者・保安業者・登山隊などが活用しました。1985年には98万局, 1992年には170万局
に達しましたが、続いて現れた携帯電話機に押されて次第に衰退し、2018年には制度も廃止されました。
この機器は、かなり高度の技術が盛り込まれていて、他の分野にも波及効果を及ぼしましたした。
    この制度が実施された時に、多くの業者が参入しました。" 通信機器メーカー "   は当然ですが、" 家電(白物)メーカー " , " アマチュア無線機メーカー " , " オーデイオ機器メーカー ", " カーステレオメーカー "   から  " 雑貨用品業者 "   に至るまで数十社が名乗りを上げました。しかしながら、無線機器の販売・アフターサービスにはラジオ・テレビなどとは異なるノウハウが必要とされますし、ユーザー側にも相応の知識や技法が求められた所為か市場は期待されたほどに伸びませんでした。
    しかも、やや後発の携帯電話機が、遥かに使い勝手が良く多機能であったので
、急速に普及したのに反し、期待と前宣伝が大きかった " パーソナル無線機 " は消滅してしまいました。

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上左図は携帯型、上右図は肩掛け型のパーソナル無線機の例。


4-3 " ハンデイ・コピー機 "

    比較的少量の文書や図面の要点を、出張先で手軽に複写したい、という要望は潜在的に在りました。その資料が借り出せるモノならば、自社に持ち帰り処理できます。また、最寄のコンビニ店や文具店でコピー機を利用できるならば、短時間借り出して複写できます。しかし、そのような手段が不可能であれば、その場で手持ちのノートの要点を手書きするしか有りません。
    このような問題に応えて出現したのが、" ハンデイ・コピー機 "  です。1980年代末に " F社 "    が発売した " 写楽走 "   と云う商品が嚆矢のようです。小型辞書より、やや大型ですが、携行して手軽に使用できたので、かなり話題になり各処で活用されました。しかしながら、鮮明なコピーを得るには操作にデリケートなコツが必要でした。資料の上にコピー機を載せて手動でスライドするのですが、一定速度で完全な平行移動を行うのが望ましいのですが、相当な熟練を要しました。
また、ハンデイ機とは云うものの、かなり嵩張り書類カバンには収納できず、ショルダーバッグなどが必要でした。
    これらの難点があった故か、あまり普及しないうちに市場から消えました。当初は追随する製品が数種現われ、それなりに工夫はしたようですが、上記の難点は克服できず、同じ運命を辿りました。

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上図はハンデイ・コピー機の一例。

 

4-4   " 電子スチルカメラ ( フロッピー・カメラ ) ”

   電子技術の急速な発展により、映像・写真の世界にも電子化の気運が起こりました。S 社、C 社、F 社 などが製品を発表しました、1988年頃でした。映像情報はアナログ式で、2インチのフロッピー・デスクに保存しました。再生画像を見るには、テレビで見るのが原則でした。撮影して直ぐに大きく見られるというのが売りとされていたようです。しばらくして専用のプリンターが売り出されましたが、印画紙は専用で割高でした。
   また、充分に成熟した銀塩フイルム・カメラに比して、交換レンズなどの付属品の整備は充分ではありませんでした。形状もかなり大きく、使い勝手は良くなかったようです。そんなこんなで、大して普及しませんでした。
   1994年に、映像情報をデジタルで処理し、メモリー・カードに保存する  " デジタル・カメラ "   が出現しました。この方式は既に普及したパソコン・プリンターとの相性が良く、使い勝手が良いので、急速に広まりました。その一方で対照的に  " フロッピー・カメラ "   は姿を消しました。

     
上図はフロッピー・カメラの一例。

 

4-5 " インスタマチック・カメラ および フイルム " 

         カメラの初心者が悩まされるのは、フイルムの取り扱いでした。カメラに装填する、撮影ごとに1枚分巻き上げる、全部撮り終わったら巻き戻す、カメラから取り外す、という一連の作業には細心の注意を要します。これを誤ると、フイルムが露光してしまい何も映っていないという悲劇に見舞われたり、二重写しの憂き目に遭ったりします。観光地などに行くと若いカップルやお年寄りから、" カメラにフイルムを入れて呉れ " 、 " フイルム交換して呉れ " 、などと依頼された経験をお持ちの方は多いと思われます。
    この悩みを解決すべく、米コダック社は " インスタマチック・フイルム "  及び  " カメラ "  を発表し、各国のメーカーも追従しました。

     フイルムはカートリッジに収容され、それをカメラに入れれば、直ぐに撮影できる構造でした。すなわち、未撮影フイルムを入れる円筒状ケースと撮影済の部分を入れる円筒状ケースをプラスチック板で連結し一体構造としました。使用者は購入したフイルムの外箱を除去し、裏蓋を開いたカメラにポンと入れて、蓋を閉じれば、撮影 OK となります。撮影済となれば、カートリッジを取り出し、そのまま  " ラボ "  に持ち込めば、あとの処理はすべて 「 あなた任せ 」  で済みます。

    フイルム・サイズは、126 ( 26mm X 26mm ) と 110 (13mm X 17mm ) が有りました。126 は1960年頃より、110 は1970年頃より発売されました。各サイズに適合するカメラは各国で製造されましたが、「 手軽に使える 」 と云う謳い文句の故か、比較的簡素な機能の製品が多かったようです。そのためか、初心者層の拡大には効果があったようですが、マニア層からは軽視されました。
    特に日本の場合は、得意の電子技術を採り入れた高機能の製品が好まれていましたし、精巧なメカを駆使することに誇りを感じる国民性と相俟って、簡素・低価格のインスタマチックは人気を得ませんでした。蛇足を云うと、某コメンテター ( 非理系人 ) が、インスタマチックを称揚し、「 日本人は独創性に欠ける 」、などのタワゴトをテレビで言い触らしたことが有りました。
    フイルム・サイズが小さいのも弱点にされました。大きく引き延ばしても鮮明な画像が得られるのはライカ版 ( 36mm X 24mm ) が限度のようです、それも超高精細のレンズを用いての話です。その上、懸案であった " デジタル・カメラ "   が急速に性能・機能を高めてきたのも不運でした。
    2000年代になると、インスタマチック・システムは消滅してしまいました。

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上左図は、110フイルム、上右図はインスタマチック・カメラの例 
               
  

4-5 " ビデオ・シート・レコーダー "

   磁気テープに映像・音声を記録する  " VTR ( Video Tape Recorder ) "   は日本家電のヒット製品で、世界市場を独占しました。その時期に前後して " 磁気シート "   に録画・録音する装置が数社から発表されました。R社・C社・V社などです。
   記録媒体がA4版、
シート状で扱いやすく、印刷・手書きも出来るのが売りでした。しかしながら、技術開発は進んでも用途開発が追随せず、一過性に終わりました。

   R社は教育機器を狙い、一部の教育者の支援を得て英語・国語・社会などの教材を整備し、" マイ・テイチュアー "   と名付けて市場拡大を図りましたが期待ほどの成果は得られませんでした。C社は読書機という位置付けで拡販を図ったようですが成功には至りませんでした。

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上図はR社の製品の一例です。


5. 発行人のタワゴト

   思いつくままに、1900年代後期に「 画期的な新技術・新製品 」として脚光を浴びながらも、大を成すに至らなかった事例を示しました。もとより浅学菲才の身で、調査不十分の事項も独断と偏見による思い込みも多々あるかと存じます。
   老生が指摘したかったのは、今日の快適且つ便利な生活を支えているのは、多数の真摯な開発技術者の研鑽努力の成果である、という事実です。
その恩恵を受けている人々の大半は、そのような事実に想いを致さぬようです。
   また、開発技術者の努力にも関わらず、ビジネスとしては大成しなかった例は少なく有りません。後から分析すれば、戦国時代の覇者が痛感した
「天の時・地の利・人の和」の条件の何かが欠けていたのでしょう。
   こんな事項を頭の片隅に置きながら、この一文をまとめました。

               < 以 上 >

           

 

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