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2021年5月27日 (木)

No. 274 : 往時茫々 昭和・平成・令和を生きて (14)

20.  続・給与と " QOL " ( 生活の質 ) の変遷を追う

         1960年代に、ルーム・クーラー-が登場し、" 最後の大型家電機器 "   と称されました。初期の製品は  " ウインドウ型 "   と云われ窓の一部に取り付ける形でした。現在のように室内機と室外機で構成し、その間をパイプで連結する様式では無かったのです。大きな直方体で、前面は室内に入れ後部は窓の外に出るように取り付けました。多くは窓の一部に工事を施しました。外から見て体裁が良いとは云えませんが、当初は都心のビルでも各部屋の窓にエアコンの尻尾が並んでいました。( その頃のビルは、セントラル暖房を施工していてもセントラル冷房を備えていたビルは極めて少なく、部屋ごとに設置したのです。)

2008ウインドウ型

   価格は 100,000 円以下だったと記憶しますが、使用期間が夏2ヶ月ほど、電気代が高い、などで市場は急速には伸びなかったようでした。老生宅では、比較的早い時期に取り付けましたが、公団住宅4階の窓への工事は難航しました。作業員 ( 大工さん? ) も慣れぬ手付きで大汗をかいていました。かなりの大きさと重さのある金属製の箱の後半分を窓から突出させて固定するのです。この部分はモロに雨風に曝されますから、充分な強度を保つ構造を要します。一般に電気技術者は大工さんのような作業は苦手ですし、大工さんは電気機器の構造を知りませんから、相互の意思疎通は大変でした。

   数年後に、室内機と室外機に分け、間をチューブを結ぶセパレート形式のエアコンが開発され、取り付け工事の労力は激減しました。因みに、このような形式は日本独自だそうです。
間もなく、マンション・公団住宅などでは、セパレート・エアコンの設置を前提として壁面にパイプ貫通孔や、取り付け金具を設けるようになりました。
2009
       セパレート型エアコン室内機
      2010

        セパレート型エアコン室外は機

なお、セパレート型になってからは、冷暖房機能を備えるエア・コンデショナーになり、市場が拡大しました。今では,私営の1K 程度の木造アパートでもがエアコン設置済みが多いようです。それほど普及浸透したわけです。価格も廉価品は 50,000円程に下がりました。

   1965年頃に電子レンジが登場しました。これは、太平洋戦争中に日米が凌ぎを削った " レーダー ( 電波兵器 ) "   の心臓部とも云われた " マグネトロン ( 磁電管 ) "   の大量在庫の処分のために米国で考案されたと云われています。強力なマイクロ波を食品に浴びせ中心部から発熱させると云う新しい調理法が生まれたのです。(従来の調理法は食品を外部から加熱して内部に及ばせる手法でした。)  発売当初は、この特徴が充分に理解されず、短時間で加熱できるメリットは認めても、調理家電機器としては高価過ぎる、また強力な電波を発生するから怖い、等の理由で市場は伸び悩みました。その上、冷凍食品やレトルト食品が出回っていませんでしたから、活用法も限られました。

   老生宅では、比較的早く購入したのですが、十分に使いこなせず、父親の晩酌の為に日本酒を御燗するとか、朝食の牛乳を温めるなどに使うだけの日々が続きました。云わば 「 鶏を割くに牛刀を用いる 」  ような使い方をしていたのです。
   その機能を活用したのは、1980年代後半に老生が転職して地方に単身赴任した時です。その頃には冷凍食品・レトルト食品が出回って来たので、電子レンジを有効活用できたのです。例えば、夕飯の米飯は電気釜で7日分を炊き、1日分毎にラップに包んで冷凍保存しておき、夕食の度にレンジで解凍すればOKです。副食品は冷凍・レトルト品をレンジで処理すれば簡単です。ビタミンC を摂はるには、ミニトマト・レタスなどにドレッシングをかけて済ませます。
このようにして単身赴任の食生活を10年余も続けましたが、毎年の人間ドック検査で、栄養の偏りを指摘された事は有りませんでした。
   電子レンジは発売当初は、150,000 円もしましたから、テレビ・冷蔵庫・エアコンなどに比べて割高感がありましたが、所得倍増計画が成果を収めたので、次第に普及しました。

   No.273 に表示しましたが、1965年・1970年・1975年の老生の手取り月収は、倍増していましたから、次々と現れる家電機器を購入できたのです。老生の勤務した電機産業は市場の拡大で好調と云われていましたが、従業員の給与は金融機関などに比してかなり低く、公務員なみと云われていたくらいです。それでも、高度成長・所得倍増の恩恵を受けた、良き時代でした。

    これまでに記した家電機器は大型の機種でしたが、小型の機器でもに日常生活に溶け込んだモノは多数有りました。トースター、ジューサー、ミクサー、ポット、ひげそり、ドライヤー、加湿器、除湿器、サーキュレーター、等々。これらの機器は市民生活を大きく変革しました。
   1950年頃までの家庭用電気製品と云えば、白熱電球、アイロン、ラジオ、電熱器 ( コンロ、ストーブ 等、ニクロム線に通電して発熱するだけの簡単なモノ ) 、扇風機 などしか普及していませんでしたが、1953年のテレビ放送を契機として、多種多様な高度の家電機器が怒涛のような勢いで家庭に浸透したのです。また、それらを購入できる収入が得られるようになりました。

   次いで、パソコン、プリンター、複写機、シュレッダー、デジタル・カメラ、携帯電話機、などの OA機器・情報機器は、それまでの家電機器とは、やや異色のマシンでした。それは、在来の家電機器が家事労働の軽減あるいは自動化を目的として開発されたのに対し、頭脳労働の軽減あるいは自動化を狙った機器で在った事です。
   これらの機器は家庭人よりも・文筆家・研究者 ( それも理系の人々 ) に多大の便益を齎し、その生産性を飛躍的に高めました。
これらについてに記載は稿を改めて記す予定です。

                < 以下次号 >

         

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