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2021年8月24日 (火)

No.278 : 迷論 怪説 「 VTR の方式争いと関ケ原合戦 」

1.   徳川家康の天下取りの端緒となった 「 関ケ原合戦 」  は、歴史マニアの最大の話題であり、時代小説の絶好のテーマとなっています。老生も、この分野の話は嫌いではなく、多くの小説・エッセイ・論説の類は、かなり読みました。
       その中で、老生が興味を惹いたのは、「 理と利 」 という観点から考察したエッセイでした。その論者については、不覚にも記憶も記録も残っていませんが、卓見であるとの印象は残っています。
論者の云う  「 理 」 とは、" 大義名分 "  という事です。関ヶ原の合戦で云うならば  " 豊臣政権 の正当性を守るために危険人物である徳川家康 を排除する "   という論理です。一方、「 利 」 とは、" 次の天下人と見られ、実力を持つ徳川家康に味方した方が 利益を得られる "   という判断です。


  「 理 」 を主張したのは、石田三成の一派、豊臣政権の実力文官です。これに対して「 利 」 に協力したのは、福島正則らの豊臣政権における実戦派武将です。豊臣秀吉に従い、地位も権力も得た彼らが、何故分裂したかに就いては、多くの解釈が有り、講談・小説の種は尽きません。一般には、秀吉子飼いの実戦派武将は、戦国乱世の時代には大活躍して大名の地位を得たが、天下統一が成し遂げられた時代に於いては、政治体制を整備し秩序を保つ役目の文官の発言力が増した事に不快感を持ち、事々に対立する傾向が有ったのを、家康が巧みに扇動して味方に引き入れた、とされています。
   現代のビジネス社会でも、これに類した話は幾らも有ります、組織の成長に伴う不可避な摩擦でしょう。以上を前置きとして、電子産業界の発展期に於ける 「 VTR の方式争い 」   についてアナロジカルな考察を試みます。

2.   日本は  " 磁気録音・録画機器 "   の生産大国です。1950年頃に、S-社が国産初の磁気テープを記録媒体とした  " テープ・レコーダー "   を開発しました。発売当初は、製品を見た人々は 「 面白い、便利だ、・・・・・・ 」  とは云うものの、購入の意欲は弱かったようです。S-社は販売ルートを模索した結果、教育機器として販路の拡大を図ったようです。

  1953年には、テレビ放送が始まり、技術者は次のテーマとして映像の記録機器の開発の着手しました。ところが、これは大変な難題でした。テレビ信号の情報量はラジオなどの音声信号の情報量に比して1000倍も多いのです。しかも、アナログ・デジタルの複合信号です。また、人気の番組を録画するには、2時間を要します。

  要するに、音声を録音する技法の延長・拡大では、映像・音声の複合信号を記録する事は不可能で、飛躍した発想・手法が求められたのです。電気メーカー各社は人材を投入して研究開発に努めました。多くの試行・提案がありましたが、最終的には、S-社の " β 方式 " 、V-社の社の  " VHS 方式 "  に集約されました。この2社の提案する方式は卓越していましたが、優劣はつけ難く、他社は、どちらを採用すべきか判断に苦しみました。まさに上述した 「 理 」 と「 利 」  の選択と同様の事態です。

  この場合、「 理 」  とは、技術の分野です、高性能・高機能は当然の項目ですが、生産性・信頼性・コスパ 等も重要です。「 利 」  は営業部門の最大関心事です。宣伝 等にかける経費が少なく、黙っていても大量に売れるのが理想です。
  VTR 戦争は結果としては、VHS 方式の勝利でした。「 理 」 に関しては S-社 が優位にあったようです。磁気記録のパイオニアであり、高性能を要求される放送局用機器でも高い評価を得ていました。「 利  」  については劇映画などの録画済テープを多数準備した V-社 が有利と見られました。
  V-社は、自らカメラを操作して映像 ( 動画 )  を記録し、それを再生して楽しむ人々は少なく、発売されている録画済の往時の名画 ( 映画 ) を鑑賞する人々の方が多い、と予想したのです。
同社は、蓄音機・レコ-ド ( 音盤 ) を製造・販売する企業として1930年頃にスタートしました。
  その当時、人々は録音済のレコードを購入し、それを蓄音機により再生して鑑賞しました。レコードには、クラシック音楽・流行歌・落語・浪花節などが吹き込まれていました。当時は一般人が好む音源を選んで録音する機器は存在しなかったのです。V-社などのレコード・メーカーは、歌手・作曲家・作詞家などと契約して自前のレコードを生産・販売しました。
  V-社は、その経験を活かして、映像の場合も、録画済テ-プ  ( 映画・演劇・音楽・競技 など )  の提供が有望であろう、と考えたのでしょう。そうした考えに従って仲間つくりを推進したのです。録画済のVHSテープが売れれば、VHS-VTR が売れる、と云う「 利 」を説いたようです。

      VTRの方式争いも、結局は「 利 」 の方に軍配が上がりました。企業は営利追求の組織ですから、当然と云えますが、一般に技術者は「 理 」 を求める習性が有るので、社内では S-社と組むか、V-社と組むか、侃々諤々の論戦が電気メーカー各社内で交わされました。技術者側は S-社を支持しましたが、営業側は V-社を支持したようです。

  関ケ原合戦の前にも、各大名家の中では多くの議論があり、それなりの対応が有った筈です。明らかな例は、信州 真田家です。父・昌幸と次男・幸村は大阪方に付き、長男・信之は関東方に付きました。どちらが負けても真田家の血筋は残る、という深謀遠慮によると史書は伝えています。事実、真田家の子孫は今も健在と伝えられてます。

  VTR のケースでも、同様な考えを持った経営者が居たかもしれませんが、設備投資・人材の育成などに巨額を要するので実行には至らなかったようです。
  また、同一社内でも、S-社 を支持した社員が  " 冷や飯を食わされた "   という噂はかなり伝えられました。 

  とにかく、「関ケ原合戦」は歴史の大事件でしたが、現代のビジネス社会でも類似のミニ版は、時々、見られるようです。

             < 以 上 >

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

           < 未 完 >

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