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2021年8月19日 (木)

No.277 : 往時茫々。昭和・平成・令和を生きて (16)

22.  戦時の統制経済とコロナ不況

   新型コロナの猛威は依然として衰えず、商業・経済に深刻な影響を与えているようです。特に日々の来客による日銭を期待する飲食店の窮状は深刻と伝えられます。その報道に触れる度に老生は、戦時下の統制経済を想起します。
        去る8月15日の終戦の日の前後には、多くの回想記・談話が寄せられましたが、戦時統制経済による自営業者の窮状に関わる話は見当たりませんでした。前線の兵士の悪戦苦闘・原爆や無差別焼夷弾攻撃による市民の地獄絵図などに比べれば、その被害は軽微だとの見方があるかも知れませんが、当事者にとっては死活の大問題でした。

   老生の両親は戦前・戦中には、呉服店を自営していました。" 呉服 " というコトバは今では殆ど使われていないようですが、国語辞書などには記載されています。要するに、和服の生地 ( 素材 ) を売り、客の求めに応じて和服に仕立てる ( 完成品にする ) 事により利益を得る商売です。戦前の日本の成人女性は和服を着るのが多数派でした、特にサービス業の女性はそうでした。
   老生の父親は地方農家の末っ子でした。義務教育を終えて某呉服店の住込み店員となり、10数年後に独立して自分の店を開いたのが、1930年代後半だったそうです。ところが折悪しく、世相は軍国体制が進みつつあったのです。1937年には日中戦争が、1941年には大東亜戦争 ( 太平洋戦争 ) が始まりました。政府は戦時統制経済を推進し、すべての経済活動・生産体制は軍事優先になりました。そのために、「 不急不要 」  と見られる産業分野は、開店休業に追い込まれたのです。
   老生の父が商う " 呉服 "  などは、正に該当しました、それどころか戦時体制に相応しくない " 贅沢・奢侈品 "   でした。それですから、産地では生産中止となり、それを扱う商店も売る物が無くなったのです。一方では、兵器を生産する軍需工場は増産に次ぐ増産の活況を呈していましたが、若手の工員は兵士として招集されて人手不足でした。そこで、政府は
開店休業の商店主らを「 徴用工 」として動員しました。老生の父親も既に中年から初老に達していましたが、慣れぬ手付きで工場で働くようになりました。収入は激減しました。
   1945年になると、サイパン島を基地とする、大型爆撃機  " B-29 "  の無差別都市爆撃が始まりました。東京は、3月10日、4月14日、5月25日と3回も大空襲を受けました。国鉄・山手線の内側および東側の市街は灰燼に帰したのです。老生の父親の経営する店も全焼しました。このために、商品を含む全財産を失ったのです。軽い火傷を負った家族は、東京の西端の山岳地域の親戚を頼って疎開・移住しました。
   やがて8月15
日を迎え、戦争は終わりましたが、戻るべき家は有りません。約10年間も田舎暮しが続きました。このような生活を 「 疎開暮し 」  と云いました。その暮しの実状は、今日の  " ホームレス "  よりも悲惨でした。財産も職業も失い、身体一つで落ち延びて来たからです。他にも、戦災を受けなかった人々でも窮乏していました。ほぼ10年わたり市民生活に必要な家具・什器・衣類などは生産されなかったからです。直接の損害は無かった地方の人々でも自然消耗は有り、それを補給できませんでしたから、やはり窮乏化は進んだのです。

   店舗も商品も家財も失った父親は、生活費を得るために、焼け残った同業者の手伝いや、生活物資の   " 闇取引 "  の仲介などをしていました。当時、生活物資は極度に不足していました。食料品を筆頭に衣料や履物、それに自転車・ミシン・ラジオなどは引っ張りだこでした。当然、価格は法外なほど高騰します。
   これが  " 闇値 "   です、また、その取引が  " 闇取引 "  です。その当時の人々は何らかの形で否応無し
に " 
闇取引 "  に関わらないと生存出来なかったのです。現に  " 闇の食糧品 "  を絶対的の拒否して栄養失調死した法曹人が現れました。 
一般消費者は闇値の食糧品を買う資金の捻出のために、手持ちの衣料・装身具・宝石・貴金属などを売りましたが、その売価もまた高騰していました。正に 「 一億総ブローカー 」   の時代でした。

   このような世相を経て、漸く経済再生の軌道に乗り、更に高度成長期を迎え、世界トップ級の経済大国にまでなりました。
それは、日本国民の不屈の努力の集積と云えるでしょう。然しながら、一言云いたいのは、戦災などで全ての財産や生活基盤を失った人々に対して、国家からの補償は何一つ無かった事です。敗戦という未曽有の事態は、いわば国家そのものが破綻したわけですから、 " 戦災補償 "   などは誰も主張しなかったのです。極左の活動家の中には、「 皇室の財産を没収して人民を救済しろ 」  と唱えた例もあったようですが、殆どの国民は、無視しました。

   このような過去の事例と、今日のコロナ禍による自粛休業の補償問題を並べて云々する心算はありません。過去に於いて厳しい事例が有り、その中からでも、不死鳥のように蘇った先駆者たちの苦境と努力と成果を再評価したいと思います。

            < 以 上 > 

         

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