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2021年8月 3日 (火)

No.276 : 滅茶苦茶なコトバの乱れ

1. 「 滅茶苦茶 」  というコトバの乱用

  近年、「 めちゃくちゃ 」 「 めちゃめちゃ 」 「 めっちゃ 」  というコトバが氾濫しています。始めはお笑い芸人さん等が使いだしたようですが、今では一応の識者と見なされるコメンテーター氏なども使うようです。それどころか、コトバには気を配るはずの文筆家や放送スタッフでも使う例を散見します。
  老生が違和感を覚えるのは、本来はネガテイヴな状況を示すコトバをポジテイヴな場合にも使う方が少なくないからです。、

  辞書を見れば 「 全く、筋道が通らないこと 」 「 どうにもならないほど、壊れていたり、混乱していること 」   などと記されています。それを反語的に 「 すばらしい 」  というニュアンスで使うのは近年のことです。反語的な表現は、時には 「  気の利いた表現  」   になる場合も有りますが、このコトバは、ネガテイヴの度合いが強いので、反語的な用法には不適切と愚考します。
    例えば 「 めちゃくちゃに美しい 」  「 めっちゃ美味い 」   などと云う表現は如何なものかと感じます。もし、風景を誉め讃えるならば  「 筆舌に尽くし難い 」 、 美味を云うならば 「 ほっぺたが落ちるほど 」   などの表現が幾らも有ります。まあ、若い方が直截な感じを表現するならば許容できますが、それなりの分別が有る筈の年配の方が云うと語彙の乏しさ
、延いては教養の低さを感じます。もっと云うならば、若者や時流に迎合する姿勢を感じます。

 

2. 「 官 」の誤用・乱用

   就職シーズンになると、新聞・雑誌・テレヴィなどに 「 面接官 」  と云うコトバが頻繫に現れます。しかしながら、これは不適切ではないかと愚考します。何故かと云えば、「 官 」  と云う文字は政府組織に関わる役職か人材に付けるコトバです。それですから、国家公務員試験などで面接を担当する人は正に 「 面接官 」   ですが、民間企業の採用試験で面接を担当する人は 「 面接担当者 」   であって 「 面接官 」   では有りません。明らかな誤用です。
   それにも拘らず、「 面接官 」  というコトバは定着してしまったようです。新聞・雑誌・放送等にしばしば見られます。疑念を抱いた老生は嘗て某大新聞の編集部に投書しました。この時、責任者から丁重な返書を受け取りました。返書によれば、編集者の中でも再三の検討を行ったが、既に既成事実化しているとの判断をした、との由でした。念のために老生は、国語辞書を調べましたが、新しい電子辞書でも出ていませんでした。

  「 教官 」  というコトバも広く誤用されています。「 教育に携わる公務員 」   というのが本来ですから国立大学の教員は教官ですが、当事者の教授や助教授の方は一般的には、この呼称は使わぬようです。一方で防衛大学校や海上保安大学校の教員には、かなり使われるようです
  ところが、このコトバは拡大解釈 (誤用) されるケースが有ります。その最たるものは、自動車教習所の指導員を 「 教官 」   と云うことです。老生が教習所通いをした時に、「 OO教官はXX号車へ 」    などと云うアナウンスが頻繫に聞かれました。また、航空機の客室乗務員養成所をテーマにしたテレビ・ドラマでは  「 鬼の教官 」   なるコトバが毎回現れたものです。
上記のような職場では、  " 身体に覚え込ませる "    という一面があるので, コトバが粗くなりがちな傾向が有りますが、それにしても 「 教官 」  とはオーバーです。
   また、拡大解釈では有りませんが、国立大の助手が  " 文部教官 "    という肩書を名刺に刷り込んだ時期が有りました。大学には、教授・助教授・助手という階層がありますが、助手と云う肩書は世間的に軽く見られる場合が有るので、偉そうな肩書を表に出したとの 「 陰の声 」   が有りました。老生は、そのような名刺を何枚も受け取りました。 
   戦前・戦中に存在した軍隊では、初年兵は古参の下士官やエリートの士官から厳しい教育・訓練を受けました。その下士官や士官は正に教官でした。戦後になって、そのような経験を持った世代が、各分野の指導教育者を 「 教官 」  と呼ぶ習慣が 出来たのでしょうか ?

   老生は、某電子機器メーカーを役職定年後に、地方の私立大学の教員に転籍しましたが、赴任して割り当てられた研究室の表札に 「 教官室 」  と記して在ったので驚いて事務方に問い合わせました。事務方の話では創立以来の表示だと云いました。調べて見ると、創立時点では国立大を定年退職した方々を教授として招き、それらの方々の意向に従ったとの話でした。それらの先生方は、無造作に国立大での表記を指示し、事務方も考慮せずに従ったというのが実状でした。老生は直ちに 「 教員室 」    に改めさせました。些細な話ですが、ヒトは、ある環境での慣習を、他の環境でも無考えに踏襲するケースが有るようです。また、この私大では定年退職する教授のために 「 退官記念パ-テイ 」   を開催しようとした例も有りました。私大ですから 「 退職記念パーテイ 」   とするべきですが。なお、このような誤記・誤用は、私立の新制大学が乱立した時期には全国で見られました。

 

3. 作家先生の奇天烈なコトバ

  文芸作品の作家ともなれば、言葉や文字の使い方に就いて人一倍気を遣う、と思われます。その一方では、気に入りのコトバが有って、作品に山場で使うように機会を探している、とも云われます。また、自ら新しいコトバを創作する方も居るようです。

  前置きはさておき、ここでは、いささか疑問符を呈したくなるような事例を  " サカナ "    にして論じます。

      ある時代小説のチャンバラ・シーンの描写で 「 電瞬に相手を・・・・  」    という文を読んだことが有ります。筆者は  「 目にも止まらぬ早業で・・・・        」   と云うような情景を表現したのでしょう。電気や光の速度は1秒間に30万キロメートルという事は子供でも知っていますから、これは斬新にして奇抜な文だと感じました。また 「  電馳一突で・・・・  」    と云う文も有りました。これは雷光の閃きを想起したので発想は上記と同様でしょう。

  ここまでは、まあ良いでしょうが、中には酷いミスも有りました。別の作家の例ですが、「 命からがら城を落とした 」    との文を見ました。これは 「 命がけで城を落とした 」    と書くべきでしょう。このコトバは、「 落城の折に命からがら脱出した 」    と云うような事態に用いるコトバです。

 

  編者は、コトバ遣いや文法に詳しい者では有りません。むしろ、対局に在る理系の技術者として数十年を過ごした者です。その老生でも、近年のコトバの乱れには看過し得ない気がして、この一文を投じた次第です。

              < 以上 >

 

 

 

             

 

 

 

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